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(名前の読みは たちばなけいし です。)

 

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こんにちは。

今日も旦那ちゃんのお話です。

 

 

旦那ちゃんは生まれてすぐ、2人の姉とともに、ある児童施設へあずけられました。両親とも患っていた結核が、子ども達に伝染するのを防ぐためです。

 

 

その施設はお寺が運営していて、戦争や病気などで両親が亡くなった子ども達が、約2,000人暮らしていました。年長者の15歳の子達が部屋長となり、一部屋に5~6人が割り振られ、共同生活をしていました。

 

 

施設での暮らしは、まさに「サバイバル」でした。

戦後まもない頃で食べ物がほとんどなく、ご飯はいつも黄色いたくあん。おやつも5cmほどに切ったたくあんでした。それも部屋長が没収してしまいます。常に飢餓状態なので、いつもあちこちで誰かが倒れて、医務室に運ばれていました。

 

 

2人の姉も同じ児童施設にいましたが、男子棟と女子棟に分かれて生活していた為、ほとんど会う事はありませんでした。毎日不安と孤独に押しつぶされそうになるのを、「悩みも無く元気」なフリをして、必死に踏ん張っていました。

 

 

一度だけ、あまりの空腹が我慢できず、部屋長が没収する前にたくあんをかじった事がありました。気づいた部屋長は怒り、旦那ちゃんをひもで縛って中庭に吊るしました。サンドバッグのように殴りながら大声で叫ぶ声が、旦那ちゃんの耳に突き刺さりました。

 

 

「おい、橘の姉!お前の弟は言う事聞かんから、お仕置きしたってんねん!おい、橘の姉!見てるか!見とけよ!」

 

 

そう叫びながら、ずっと殴り続けました。部屋長の子分たちも、代わるがわる旦那ちゃんを殴りました。

 

 

中庭は唯一、男子も女子も集まれる場所です。周りに集まってきた大勢の子ども達は、誰も止められませんでした。誰かが先生を呼びに行って、ようやく駆けつけた先生に降ろしてもらった時には、すでに旦那ちゃんは意識がありませんでした。運ばれた医務室で気がつくまで、数日かかりました。

 

 

9歳の時、父が亡くなりました。

施設の先生から亡くなったと聞いた時、2人の姉は泣きました。でも旦那ちゃんは笑っていました。父とは2日前に初めて会ったばかりです。2日前に会ったあの人が「父」という実感もなければ、一緒に過ごした人間が「死んだ」ということにも現実味がなかったからです。

 

 

1人になって、ようやく実感が湧いてきました。

母が亡くなったのは2歳の時。今まで孤独でも、同じ空の下に「いつか会える父がいる」という心の支えが、どこかにありました。しかし、ようやく会えたその父も、もういません。「本当に天涯孤独になったんだ」という現実味が襲ってきて、嵐のような感情の波に翻弄され、涙が溢れて止まりませんでした。泣く姿を見られたくなくて、施設の庭にある大きなシュロの木に登り、思いっきり泣きました。

 

 

こんな暮らしが嫌で嫌で、何度か脱走を図りました。

施設は小高い丘の上にありました。塀代わりの竹藪をかき分け、坂を下りた時、広い世界に解放されたような気分だったのを覚えています。しかし、そこから行く当てもありません。結局、探しに来た施設の先生に保護され施設へ戻り、「自分の生きる場所はここしかない」と思い知らされるだけでした。

 

 

それからしばらくして、突然「叔父さん」がやってきました。父のすぐ下の弟です。その叔父さんが、姉弟3人まとめて引き取ってくれることになりました。そうして、丘の上の閉じ込められた世界から、突然解放され、叔父さんと姉たちとの4人暮らしが始まりました。

 

 

 

読んでくださってありがとうございます。

旦那ちゃんのこと、もっと知ってくださいね。