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BUZZエンターテイメント【芸能ニュース】

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職場でも友人同士でも、なかなか「本音が言えない」という人も多いだろう。
一方、テレビでもどこでも「本音」で語るのが、先日『本音で生きる』(SBクリエイティブ)を刊行した堀江貴文氏だ。いつでも「本音」で語り、やりたいことをすごい勢いで成し遂げてきたホリエモン氏に、その生き方について聞いた。

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 「上司の言うことは理不尽!
  でも、そのことを言えないでいる」


 「会議でも意見が言いづらい雰囲気……。雰囲気にのまれて、いつも何も言えない」


 「下手なことを言うと、上司から嫌われて職を失ってしまう」

 「本音を言うと人間関係が悪くなって、職場にいられなくなってしまう」



 こんな話を聞くことがある。多かれ少なかれ「言えない本音」を持ちながら仕事をしている人は少なくないようだが、僕はまったく信じられない。むしろ、「なんで?  言っちゃえばいいのに!」と、心底不思議に思う。




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■ 「本音」を言われて困るのは、上司のほう

 まず、1点として、本音を言われて困るのは、実は上司のほうなのだ

 「上司への文句」がその上の上司に伝わろうものなら、マネジメント能力がないと思われたり、部下から信頼されていないとされてしまう。さらに、昨今、SNSなどで何か言われたら、それこそ自分が危ういという計算もあるだろう。



 だから、上司の言うことが理不尽であれば、何が理不尽なのかをきちんと指摘するべきなのだ。世間体を気にする上司なら、逆に丁寧に話を聞く姿勢を見せるかもしれない。それに、「言いたいことを言ったから」という理由で解雇することなど、今の日本の会社では非常に難しいのだ。

 本音を言うと「人間関係が悪くなる」と思っている人もいるかもしれない。しかし、職場になじんでいようが、浮いていようが、仕事の結果には何の関係もない。同僚に陰口を叩かれるというのなら、相手に面と向かって「陰口を言わないでください」ときちんと言えばよいだけの話だ。

 それであなたがやるべき仕事にどんな実害が及ぶのだろうか。




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■ 仕事で望ましいのは「セミドライ」な関係

 当然のようだが、職場で大事なのは、やるべき仕事をやることだ。

 僕にとって、仕事で望ましいのは、「セミドライ」な関係だ。仕事として相手には尽くすけれど、互いに寄りかからない距離がいちばんいい。

 マンガでいえば、「ワンピース」的なものではなく、どちらかというと「島耕作」的なもの。


 「ワンピース」では、「あいつは仲間だから」というだけの理由で、落ち込んでやる気を失った仲間にいつまでも構い続ける。しかし、仕事は、自立した個人が、目的を達成するためにつながって行なうものだ。慣れ合いではなく、目的を達成するために与え合う。そうしたベタベタしない少しドライな関係が僕にとっては気持ちがいい。



 それから、日本人はとにかく議論を避けて、「意見」を同じにしたがる。僕はこれまでにさまざまな人と対談してきた。なかには、議論がまったくかみ合わなかった人もいる。でも、だからといって、相手を嫌いになることはないし、尊敬の念が減るわけでもない。

 しかし、「お互いの価値観が異なっていることがわかる」というのは、とても大事なことだ。

 なんとなくわかったふりをして議論が終わるのと、たとえ自分の価値観と違っていても、しっかり相手の意見を聞くのとでは、どちらが「相手のことを知る」ことになるだろうか。



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 たとえまともな議論にならず、ケンカになっただけだとしても、人と議論することが無意味だとは思わない。僕は、意見が一致しないからという理由でその人のことを嫌いになったりはしない。意見が一致しないことと、相手のことを嫌うということは、そもそも、まったく別のことだ。



 だから僕は、対談だけでなく、ソーシャルメディアでも積極的に人とぶつかり合おうとしている。それは、その人が嫌いだからだとか、人格を否定するためではない。違う意見を持った者同士がぶつかることで、新しい発見があるからだ。

 「議論は一致しなければ意味がない」

 「意見が一致しない」=「相手のことを嫌いなんじゃないか」

 という意識は、いい加減やめよう。

 「わかり合えないことがわかり合えた」でいいのだ。

 「価値観や意見が違う」ことがわかることが大事なのだ。人間関係は、デジタルで分けられるものではない。色彩豊かなグラデーションで構成されている。したがって「この点については意見は異なるけれど、相手とは仲がいい」ということだって、大いにありうるわけだ。

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■ 本当にそこまでして好かれる必要があるか? 

 確かに意見が異なる人間を、自分たちの輪の中から全力ではじき出そうとする人もいる。

 実際、著名人であっても、支持者やファンにそっぽを向かれないよう、自分に貼られたレッテルから外れた意見を言わないように振る舞っている人は多い。

 そのとき考えてほしいのは、そんな人からも好かれたいのか、ということだ。一緒にいて嬉しくもない人にまで好かれようとするから、本当の必要なことが見えなくなるのだ。

 誰かがあなたについてどう思おうが、それは自分の問題ではなく、相手の問題だ。他人が誰を嫌おうと、何を考えようと、それはあなたの人生にはかかわりのないことだ。

 それに気づいたら、好かれたくもない人のことなど、「放っておく」こと。「相手が自分をどう思っているのか」なんてことにかかわりあって、自分の人生がなおざりになるなんて、本当にもったいないと思う。

 周囲の「空気」や同調圧力など気にしてもしょうがない。同調圧力をかけてくる奴らは気持ち悪いが、それを気にして同調するのも同じくらいに気持ちが悪い。

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 輪のメンバーから嫌われたからといって、恐れているような実害など存在しないのだ。

 結局、本当に言いたいことがあれば、言えばいいと思う。ケンカになってしまうこともあるかもしれないが、むしろそうすることで相手の考えがわかるし、いつかわかり合えることもあるのではないかと思う。




引用元: http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151222-00097012-toyo-soci