ある雨の日のこと
予定のない日
ぼーっとしていました
ふと、ナレーションについて
表現について思いついたので
今日はダラダラとのせてみます
自分の考えをまとめるための
とりとめのない独り言です
「相手のことを思ってナレーションをしましょう」
「ナレーションは愛です」
そう教えてくださったのは
私がそのお人柄とナレーションに
憧れを抱き
今も憧れまくりのトップナレーターK先生
えーーーー
あ、愛ですかーーー
当時、そんな慈愛に満ちたことが
私にできるのかと思ったものです
でも、私はすごく真面目なので
頑張りました
今、聞くと恥ずかしくなっちゃうくらい
「愛」をこめたナレーションを
求め続けました
でも私が
「人のために」とか
「愛を込めて」とか思ってやってみると
どうにも空回りしちゃって
うまくいかないのです
相手のことを考えると、わかんなくなっちゃう
精魂込めて作られた作品に
たくさんの愛をこめたいのに
なんだかしっくりこない
かなり悩みました
そこから抜け出せたのは
お世話になっているS監督に
私のナレーションを聴いていただいた時でした
「このての内容は、モーリーは得意なはずだよ?
もっとバーン!とやっていいんだよ。
なんか(表現に)ストップかけてるように聞こえる」
とご指摘を受けたのです
ガガーンッ
(なんか降りてきました)
(「音楽の神様が降りてきた」的なやつ)
そうだ
昔の私のナレーションは
もっと「バーン」とやってた!
「私、これ好きーーーー!」
「私、こう思う!」
「私、こうしたい!」
自分が好きなことを言って
好きなように喋って
自由奔放
って、感じだった
プロフェッショナルになりたくて
きちんと身につけたかったし
なんといっても憧れの人のようになりたくて
色々勉強しているうちに
いつのまにか「自分」というものを置いて
四角い箱の中に入ってしまったんだわ
自分が「こうなりたい像」は
私の本質と全然違うから
憧れている方にいくら寄せようと思っても
どうしても表現が不自然なのよね
「パワーがなくなってきたからモーリー(←私のこと)に会って、喝いれてもらおうと思った」
「初めて会った時、モーリーのパワフルさにびっくりしたよ」
「『教える』のではなく、あなたが好きに喋ることで周りが勝手に元気になる。そういう職業が向いてるよ」
なんて、友人やスピリチュアルの方に
言われたこともあったなぁ
K先生のような上品さ・柔らかさ・繊細さ
Hさん(←この方も私の憧れの方)のような
聴いただけで魅了されてしまう声質とか
欲しいけど
私はもっとパワフルで好き勝手で自由な表現で
愛を伝える方法があったはず
あー、なんかスッキリ
楽になりました
「こうなりたい」が抜けて
「私らしさ」を思い出しました
自分のナレーションは、
これから変わるんじゃないかなぁ・・・
ちょっとワクワクになった日なのでした
完全に独り言w
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