最近、学外でバンドを始めることになった。


 ここではコピーバンドだけでなく、オリジナルの曲も演奏することになった。私が歌うことになっているため、歌う当人の感情がこもっていたほうがいいということで歌詞を書くことになった。


 毎日、自身を構成しているもの、影響を与えたことについて考えるようになった。そこで基本的には喜怒哀楽の「哀」の感情で成長してきたことに気づいた。実際、今まで深く共感し好きになった曲も、失恋ソングや人間不信に関するものが多かった。


 自分も、裏切られた恋愛の経験や友人関係について曲を書こうと思った。


 気に入ったフレーズが書けた

 いい音を乗せることができた


 でもどれも聴いたことのあるものだった。


 全て、誰かの模倣品だった。


 私は誰かの考えたものを受け取り、それをあたかも自分の思いついたもののように感じていた。


 普段、昔の啓蒙思想や心理学者、哲学者の引用ばかり使い、自身の力であるかのように語る大きな勘違いをした居丈高な同年代の人間を見てうんざりしている。あなたのその知識の言い方は周りに披露するために身につけたお飾りだ。“生き方をよくする”真の意味の学びは失われている。そう感じる。

 自分も、彼らと同じような人間になっていた。共感し“生き方をよくする”ために学んだ内容を、自身の力のように振る舞ってしまうところだった。

 全ては同族嫌悪でしかなかったのかもしれない。


 周りの人間は常に誰かの真似事をしているように見える。わかりやすいものであれば、有名な黒髪ボブの方に寄せた見た目、話し方の女性が増えたと感じている。他にも性格や行動すら、どこかのアニメのキャラクターや有名人に似たものばかりだ。

 真のアイデンティティなんて存在するのかも疑ってしまう。私を私たらしめているものは何だろうか?あなたをあなたにしているものは何だろうか?


 そんなもの、本当にあるのかな。

 実はあなたも誰かの模倣品かもしれないよ。