我が社では、年に1~2回程度ですが、研修をやることがあります。
ここでいう研修とは、専門的知識やスキルを学ぶものではなく、もっと抽象的な「会社をより良くしていくためには」とか「よいリーダーになるためには」といったテーマのものです。
私は、こういう「研修」が得意ではありません。
できれば発言したくないし、グループワークでも何もしたくないタイプの人間です。
何もしないで逃げ切れる研修もあれば、強制的に役割を全員に回すタイプの研修もあります。
私は外部講師を呼んでの後者タイプの研修、しかも3日間ぶっ続けで行う研修に参加して(させられて)、何一つうまくいかなかったことがあります。
グループのまとめ役をやってもうまくいかず、メンバーからは「今何をやる時間なのか全然わからなかった」「向かう方向が決まらなかったので発表段階になっても最後までふわっとしたままだった」というコメントがフィードバックとしてありました。
発表役をやっても「声が小さい」「ずっとホワイトボードをみてしゃべっている。たまにこちら(聴衆)をみることがあっても目線がフラフラ」「時間配分ができていない」「内容に一貫性がない。流れがよくわからない」というコメント。
何も役割がない時には、まとめ役から「どう思う?」と聞かれても「うーん、そうだねぇ。。。」などと何もコメントできずに終わり、場の雰囲気もドンヨリ。
多分、他者から見た私の印象は「黙ってばかりで何もやらない。しゃべりだすと支離滅裂」といった感じだったと思います。
研修中は「早く終われ、早く終われ」「こういう時は無感情でやり過ごすんだ」などと自分に言い聞かせ、研修が終了すると「やっと終わった。早く帰ろう」と逃げるように帰ります。
しかし、家に帰って研修でやったことを振り返ってみると(この振り返りも事後課題として提出義務があります。いわばやらされているものですね)、研修中は嫌で嫌でしょうがなかった研修が、「あの研修を受けてよかった」と思えてきました。
他からのフィードバックは人格否定ではありません。「こうすればもっとよくなるよ」というポイントを端的にあらわしたものです。今の自分の改善すべき点を考えて教えてくれるコメントなのです。
自分のためだけの貴重なコメントは、「教えてくれてありがとう。改善するようにします」と素直に受け入れればいい。それがあってこそ、成長できるのではないだろうか。
何もせずに逃げ切れるような研修だったら、こんな気づきは無かったでしょう。まさに「意味がない」研修となったはずです。
「研修」の良さは、後になってからわかる。そんな経験でした。