テレビを見ることは学生時代と比べてかなり少なくなりました。今見るものといえば、朝の「ZIP」を20分くらい、これは固定的ですが、あとは、ほとんど見ません。

 別に見ないように心がけているわけではありませんし、最近ありがちな「近頃のテレビはつまらない」という考えに同調するつもりはありません。面白いものは面白いと思いますし。どちらかというと私は「見たくなけりゃ見なきゃいい」の方の考え方に近いです。

一番大きいのは、単純に時間が無くなったということ。家に帰って風呂に入って寝て、起きて会社へ、という流れなので、みることがない。

まぁ、この辺はどっちの考え方でもいいでしょう。私のような一般人にとって、たいした問題ではありません。
(不意に、だいたひかるの「どーでもいーいですよー」を思い出しました)。


自分の過去の日記を読み返していたら、「テレビ」について、次のような文章を書き記していました。
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 何故かわからないが、我々一般人はテレビの中の人々の私生活に興味を持つ。誰と誰が付き合ってるだとか、週刊誌やワイドショーのネタになるような出来事が大好きだ。

 芸能人がテレビの中で繰り広げる楽しい世界は、何が本当で何が嘘・虚構なのかが一般人にはわかりにくいし、確かめるすべもない。「このクイズ番組ははじめから優勝者が決まっているのだろうか?」「結局スタッフが用意した台本通りにやってるだけなのか?」などなど、考えれば疑念は尽きない。すべてが虚構だとは思わないし、かといって真実ばかりではないかもしれない。いくら考えても、一般人にはわからないのである。

 では、どうすればいいのか。わからないものは全て嘘だと仮定すればいいのだ。嘘だとわかっていても、面白いものは面白い。嘘と知りながら、あえてそれを本当のことだと思い込んで楽しむ。これがテレビの楽しみ方だ。ディズニーランドと同じ楽しみ方をすればいいのだ。ランド内を闊歩するミッキーマウスの中には人間が入っていることを誰もが知っている(それをわかっていない子供は別だが)。しかし、その着ぐるみに出会うと「キャーッ!!!ミッキーッ!!!写真撮って!!!」となる。ミッキーと写真を撮りたい人の行列ができ、しまいには「ミッキーの家」みたいな人気アトラクションまでできてしまった。目の前にいるミッキーの中に人間が入っていることはわかっているが、それは人間ではなく、「ミッキーマウス」なのだ。そう思い込んで楽しむのだ。

 ディズニーランドに数人で行ったとすると、その中の一人が「何をそんなにはしゃいでいるんだ。あの中には人間が入っている。ハゲのおっさんかもしれんぞ」と言うかもしれない。そうすれば、一同は一気にしらけたムードになるだろう。

 テレビも同じだ。「これは台本通り」「スポンサーが絡んでるんだ」「この女優は、実はかなりのヘビースモーカーだ」などと発言する者がいれば、周囲はしらける。皆、そんなことはあえて無視して、楽しんでいるのだ。虚構が嫌なら、つまり芸能人を「ミッキーマウス」としてではなく「人間」としか見られないのなら、見なければいい。その一言に尽きる。


これは私が大学4年のころに書いたものです。
なかなかスカした口調で、痛々しいですねぇ。なにか気に入らない出来事でもあったのだろうか。

私もたまに「これにはこういう裏事情があって・・・」と、知ったような顔をして友人に話してしまうことがありますが、この時の私はそういう人を批判しているのです。

過去の自分に今の自分を批判されるとは、参りました。
この頃の俺は、ずいぶん勢いがあるなぁ。


日記ってこういう「気づき」があるから、面白いですよね。
このブログのタイトルもそのあたりの意味からついています。
「答えはないけど、何か良いものがあるかもよ」ってことです。