
リレーのアンカーに、組体操のピラミッドの1番上
みたかったなぁ〜

でも、胃が痛いとにかく痛い
食べれるわけもなく
2度ほど吐いた
みんなが帰宅して、旦那が様子を見にきてくれた
私はたまらず、懇願した
「救急外来連れてって🙏」
すると旦那がキレた
「はぁ
同じ胃の痛みで行くのか

何回行っても同じだ。🚑で行くのか?下まで歩けるのか」と烈火の如く言ってきた
私は
「車まで歩けるからお願いだから連れってて」と懇願した
旦那は渋々救急外来に電話してくれて、連れて行ってくれた
でも、諦めモードの私
3度目の正直とはよく言ったもの
受付をして、中に通されベットに案内された
そこへ、優しそうなおじさまDr.👨⚕️が「今度は僕がエコーするからねぇ」
と一言言ってどこぞへ行った
その時の私……「昨日もエコーしたし
おんなじじゃん!でもまぁいっか」
しばらくしてやってきた
「おまたせ〜、エコーかけるねぇ」
とその瞬間それまでの優しい表情から一変険しい表情に
「こんなの痛いに決まってる‼️CT室空いてる?
すぐに用意して」
救急外来室が騒然となった
私も同意書を書かされたけど、事態が飲み込めてない
すると、1回目にいた看護師さんがちょうどいた
「昨日の夜も来たんだね」と何やら心配そうに来てくれた
呑気な私は「はい。でも痛みの原因が分かったみたいでよかったです
」
なーんて答えたけど、その看護師さん何やらうかぬ顔
でも、大変なことになってるなんて露知らず
痛みの原因がわかった!!36時間も痛みに耐えてて
ようやくわかった


とその時の私は喜び勇んでました
検査室から戻って私のフィルムの前に
救急外来の先生がうじゃうじゃ集まってる
タダごとではないぞ
あの優しい先生が私の方に近寄ってきた
「血縁の方の中にマルファンの方いる
」
」「いません!!」
「解離なんだよねぇ
」
「弁までいってたら、ここで手術するけど、大丈夫だったら送るから。循環器の先生を呼んでるから少し待っててね」
そう、この市立病院、心臓外科がなくなると決まっててもう手術はしないと決めていたそうです。
ただ緊急の場合(わたしだよねぇ笑)は、やむを得ずするかも
循環器内科の👨⚕️がきて、エコーかけて
なんとか大丈夫じゃないか?ということで
日赤へ送られることに
救急外来の中でそんなことが起こってるとは
夢にも思わない旦那
「なんで、あいつは出てこないんだ?後から入ってきた人はどんどん帰っていくのに」と思っていたそうだ
そう、この時すでに2時間ほど経過していました
「一緒に来てるの旦那さんだよね?」
「はいそうです」
と旦那が呼ばれ告げられた第一声
「奥さん、解離なんです。緊急手術が必要ですが
ここではできないので日赤へ行ってもらいます」
旦那の頭の中はパニック🤯🤯🤯🤯🤯
旦那はとりあえず、家で待ってる、母と妹夫婦に電話した。子供達もいる
「解離で今から日赤行くから」ガチャン

だったらしい
あの優しい👨⚕️が、「ごめんね、ここで手術やってあげられなくて。手術終わったらすぐにでも戻ってきていいから。待ってるからね」
と声をかけてくれた
安心したのかはたまた三途の川への道を歩き出したのかそこからはほぼ記憶がない。意識がなくなってきたのかもしれない
家で電話を受けた妹
さーて、どこの日赤??
県内には2つ日赤がある
正式名称と通称がある
旦那は通称で告げたらしい
妹は調べて来たらしい
そして、着いた時目の前に🚑
私の乗っていた🚑らしかった
初療室に入って、ストレッチャーからベッドへ移動の時耳に残ったのが「なーんだ、痩せてるじゃん」
38の解離なんてどんなデブかと思ったのか
そしたら、まぁ、痩せてるのがきた
それを聞いて悪かったね
と思ったような思わないような
また意識飛ぶ
次に意識戻った時は多分手術室入る前
「〜さん、〜さん、隣に娘さんいるよ」
娘という言葉に反応して目が覚めた。
涙流してる娘がいた。(隣にいた息子は事態が飲み込めずボーッとしてたけど)
「ママ、生きて帰ってくるからね」
それだけ言って、また意識が遠のいた
病気が判明するまでになんとも長ーい道のりでした
でも、大動脈解離って即死でもおかしくないのに
しぶとく生きていた私
でも、芸能界でも生還した人は沢山いる
石原裕次郎(ふるっ!あの病院の屋上から赤いガウンを着て手を振ってる姿が妙に目に焼きついてる)
加藤茶(抗凝固剤を、飲んでたから手術まで少し時間があったと聞いた記憶が)
ドキンちゃんの声の人(悲しいかな亡くなられてしまいました)
36時間もよく生きていたものだ