毎年
家族で一番たくさん年賀状をもらうのは じぃちゃんでした。
幼心に、
じぃちゃん すごいなぁ…
いっぱい年賀状来るって カッコいいなぁ。
と… その後 当選番号探しの一苦労もなんのその ☆
だから 私も、
そんなじぃちゃんの姿を見て
年賀状をたくさん書いて、もらって…
新年の挨拶のやり取りを ずっと楽しんで育ってこれたものでした。
2017年
『何枚きた?』 興味深く聞いてみると、
めんどくさそうな顔で『2枚』と答える母。
『 (笑) だれだれ? 』
『○○さんと、○○昌三さん。戦友だよ。』
『あれま 二人とも元気だねぇ。でも去年より枚数減って良かったじゃん。(笑)』
『まぁね。さてどうするかなぁ…。』
じぃちゃんがもうろくして、
年賀状を書くことができなくなって、
まして苑に入所してからは、
母と私が じぃちゃんの代わりに年賀状の返事を出していた。
じぃちゃんも、
年々少なくなっていく年賀状に、ちゃんと目を通してはいたけど…
どこの誰なのか よくわからないままのやり取りでもあった。 苦笑
めんどくさそうな母が、
しばらくしてから寒中見舞いで返そうと言うので、
店もひと山越えて、 新年の祝賀ムードが去った頃
じぃちゃん宛にきた 戦友二人への返事を、母の代筆で私が書いた。
昨年 父が亡くなり、欠礼のお知らせもせず 申し訳ありませんでした。
早々の賀状ありがとうございました。
お決まりの挨拶文が印刷された市販のハガキに、
この先、お付き合いはなくなりますね。と匂わせる簡単な文章を…母が考えて私が書いて(笑)、
どんな人で、どこで一緒に戦ったのかもわからない二人の戦友宛に
長年の変なやりきった感をもって…母も満足しながら投函。
かつて分厚い束で届いていた年賀状は、
最後は2枚か。笑
じぃちゃんが目を通せなかったのはたったの2枚。
ありがたい最後の2枚。
…
そして 投函から数日後
○○昌三さんから、丁寧にお悔やみの電報が届いた。
お線香入りの丁寧なものだった。
母は頭を悩ませる。
寒中見舞いを最後に…縁も切れ、
娘としての役目を果たしたつもりが 終わらなかった…と。笑
とりあえず、電話でお礼を伝えて…香典返しのようなものを送らないと~(T▽T)と がっかりする母に、
『でも ありがたいことだよ。相手も高齢なのにこうやってじぃちゃんのこと思ってくれてさ。
年賀状の字もしっかりしてるし、ひょっとしたら家族がやってるのかもしれないけどね(笑)。
せっかくだから どんな関係なのか話をよく聞いてみるといいよ。』
役目も何も感じない孫の私は、この展開に興味が先立って母に言う。
母は、それなら 電話してみてよ。と
あっさり私に託したもんだから…
私はガゼンやる気で電話を手に、
まずは104で電話番号を調べるところから始めた。
久しぶりの104。
登録がありますように…と祈って…
しょうぞうさん。を調べてもらった。
するとなんと。
同じ住所に同じ姓名で`まさみつ´さんはいます。と言うのだ。
大笑
ずっと 母も私も、しょうぞうさん。だと思っていた昌三さんは まさみつさんだったのだ。
母と、へぇ~と言いながらいよいよ電話してみる…
出ますように。本人がボケていませんように。
母と私が知らないじぃちゃんとのこと、聞き出せますように…。
けっこう 待って、出た。
本人だった。
この度は御心遣いありがとうございました。生前は大変お世話になり ありがとうございました。
ーいやいや、私のほうがお世話になったんですよ。
実は私 孫娘なんですが、
ーえ?そうなんですか?
はい。
祖父は 頭はしっかりしていましたが、苑に数年入所してました。
頂いた賀状は苑で嬉しそうに拝見してました。
まさみつさんはお元気に御自宅でお過ごしでしょうか。
ーはい。いや、私はもとは地元の出なもんでね。
(屋号)って知ってますか?
え?
ち、ちょっと待ってください!?
! ! !
その屋号があまりに店の近所だったので、
横で聞いていた母に慌てて受話器を渡す。
…びっくり。
その昌三さんは 母の九つ歳上の、近所に住んでいた若者だった。
戦友ではなかった。笑
その後お体の具合はいかがでしょうか、とじぃちゃんを気遣う文字も…しっかりしてるはずな訳だ。笑
しばらく話して、母は 店は孫の長男である兄が継いだことを伝えて 店の商品を送る約束をして電話を切った。
…また 縁が始まってしまった感に、私も苦笑いした。
『いやーまいったまいった。
まさか まさにぃと呼んでいた○○さんの家の人だったとは~大笑
(母の名)ちゃん、(小さい頃)かわいかったなぁ~と言われたよ。大笑
いやーびっくりした。』
幼かった母の9つも歳上の昌三さんは当事 中学生くらいの年頃。
その家の3人息子の3番目で、
不運なことに 就職先の事故で下半身が機械に挟まり 動かなくなり、
実家で過ごしていたが 兄嫁が来たのを機に、迷惑をかけると思い施設に移ったと言う。
その後施設で連れ子のいる女性と知り合い、持ちつ持たれつで
一生面倒を見ると言ってくれて結婚し…
賀状にある県内の住所で過ごしていたのだ。
ピントが合えば…そこまで 把握しておきながら…
母は 何年もの間、
昌三さんをしょうぞうさん。として、
戦友として…
めんどくさそうな顔で賀状対応していたのだから爆笑ものだ。
…じぃちゃんは、戦後の貧しい時代
助け合うことを大事にしていた。
近所の学生が、 かなり遠くの学校まで自転車で通い、お金が持てないことを知ると、力仕事の店の原料の仕込みを手伝わせてお金を渡していた。
いわゆるバイトだけど、
そういう機会を与えてくれたじぃちゃんと言うおじさんを、お世話になったと感謝する話は他にも聞いたことがあった。
飢えを経験したじぃちゃんは、きっと 腹ごしらえも世話したんだろう。
そして 昌三さんが下半身が駄目になってからも、
その身体でできる他の仕事を頼んでいたことも、
母は思い出した。
『だからこんなに長く賀状のやり取りがあったんだね。』
まだ少し驚きを隠せないままの母は 頭の中の記憶をたどり、
『(母の名)ちゃん、かわいかったなぁ なんてこの歳で言われるとは思わなかったよ~』と笑っていた。
絶とうと思っていた縁が、また繋がった。笑
昌三さんとの電話の最後に、母は言ってた。
『はやく電話しろよって父が教えてくれたのかもしれないですねぇ』
最後の役目と言ってたけれど、
店の一番忙しい時期に ばぁちゃんが死んで49日も経たずにじぃちゃんが死んで一年間 法事で慌ただしく…
やっとで一周忌を済ませた後は 何かと物忘れが多かった母だったが…
母の口から出たその言葉が、
また繋がってしまった縁に
喪中の新年の始まりの、なんとも嬉しい出来事だった。
