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改めて、谷口克広氏の『信長の親衛隊―戦国覇者の多彩な人材』(中公新書)を読んでみた。佐藤雅美氏の『信長』を読んだ直後のせいか、信長の部下それぞれが印象ぶかく理解できた。
佐藤氏の『信長』に出て来るエピソードはだいたいここで紹介されている。
でも、信長の部下について、こんなふうにいろいろ調べてもなあ。
信長マニアの人にはお勧めだけれども。
谷口氏の『信長の親衛隊』と佐藤氏の『信長』、今谷明氏の『信長と天皇』の3冊から1冊選ぶとすれば、私の趣味嗜好では今谷氏の『信長と天皇』となる。
- 谷口 克広
- 信長の親衛隊―戦国覇者の多彩な人材
先日の佐藤雅美氏の『槍持ち佐五平の首』を読んで、市井物は別のジャンルということで割り切ることにしたのだが、どうもスッキリしないので、佐藤雅美氏をもう一冊読むことにして、『信長』(日本放送出版協会)を読んだ。上下2冊。
う~む。
こちらの体調が悪かったのか何なのか、あまり合わず。残念。
文体のせいなのかどうか。説明過剰、あるいは、歴史的な説明が上手くないのかどうか、よく分からないが、または、せっかく盛り上がるべきところが、一行で済んでいたりするせいか、読むは読んだけど、あまり感銘を受けず。
以前、谷口克広氏の『信長の親衛隊―戦国覇者の多彩な人材』(中公新書)を読んだのだが、佐藤雅美氏の『信長』を読んでいると重複する事項が多い。もちろん、佐藤氏も一次資料に当たってはいるのだろうけど、谷口氏の著作を参考書に使ったのだろうなと思う。
実は、谷口克広氏の『信長の親衛隊』を読んだときは、通時的な記述が少ないので、信長について不案内な私にとっては十分な理解が難しかったような気がしたのだが、その点で、佐藤氏の『信長』は通時的で入門的な記述であるため、理解を補ってくれる。谷口氏の『信長の親衛隊』と佐藤氏の『信長』、2冊合わせて読めばいいのか。
ところで、佐藤氏は、私の好きな今谷明氏の『信長と天皇』(講談社現代新書)での主張を、根拠も示さず否定している。今谷説に敬意も示さず、「そんなことあるはずないだろ」という態度が、私が佐藤氏の『信長』を低く評価することにつながっているだろうことは否定しない。
- 佐藤 雅美
- 信長〈上〉
- 佐藤 雅美
- 信長〈下〉
- 佐藤 雅美
- 槍持ち佐五平の首
朝日だったかの書評で、佐藤雅美氏の『浜町河岸の生き神様 縮尻鏡三郎』を褒めていたのだが、迂闊なことに、マサミさんで女性だと勘違いした。マサヨシさんで男性。
『浜町河岸の生き神様 縮尻鏡三郎』が見当たらなかったので、とりあえず、『槍持ち佐五平の首』(文春文庫)を読んだ。
江戸時代のマイナーな有名人(?)などを短編小説で描いていた。う~む。
そうなの、と返事してから、あまり感想が言えない。日本史の勉強にはあまり役に立たない。こういうのを「市井物」というそうだが、残念ながら今後は読まないようにしようと思う。
江戸時代のいじめの話とか、守旧派の話とか読んで、いささか気が滅入ってしまった(-_-;)
司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』(文春文庫)を読んだ。
このところ、他の勉強なんかもあって、つい小説に流れている。しかも、この『翔ぶが如く』は文庫本で全10巻、読んでる途中に中断があった…(^_^;)
司馬さんのは長いのはいいのだけれど(語り口がいいし)、何故か、この『翔ぶが如く』は熱が伝わってこないような感じだった。中断のせいかもしれないが。
竜馬や河井継之助は、はらはらどきどきというか、もちろん結末はわかっているのだが、読んでいて血が騒ぐ。それに比べて、この西郷隆盛や桐野利秋たちはぼやきたくなる。圭室諦成(たまむろたいじょう)さんの『西郷隆盛』(岩波新書)の影響で私がそう感じてしまうのかもしれないが、どうも司馬さんも、少なくとも明治以後の西郷隆盛については複雑な思いを持っていたのかもしれない。
ただ、ここは日本史の勉強のための読書なので、司馬さんの西郷隆盛観を議論するつもりはない。
まあ、面白かったは面白かったけど。
- 司馬 遼太郎
- 翔ぶが如く〈10〉
古田博司氏の『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書)を読んだ。と言うのか、パラパラ見たというべきか。途中で、嫌悪感というのか、読むのが不愉快になって、最後までパラパラとはしたのだが、ねぇ(-_-;)
中華思想のわがまま、自己チューの問題は、そのとおりだと思うのだけど。
中国は近代の入り口、韓国は近代のさなか、北朝鮮にいたっては中世だ、と古田博司氏は言う。日本はポスト近代、だと。
近代になりゃいいってもんでもないだろうに(^_^;)
中国、韓国、北朝鮮、それぞれ酷いところも、そりゃあるだろう。もちろん日本にも酷いところがある。当たり前だろう。現在の中国、韓国、北朝鮮、あまり縁がないので、私もあまり好きではないが、この日本という国についても、好きでない気持ちは強い(好きなところもあるけど)。
やはり、古田博司氏が次のように述べるとき、私は違和感や不快感を覚える。
「朝鮮植民地、日中戦争が大きな日本の侵略と言われているわけです。この二つははっきり言って「侵略」です。ただそれに対して、当時の朝鮮人も中国人も、きちんと戦っていない。このことが重要なんです。」
「本書に詳しく書きましたが、要するに正面から戦っていないので、自分たちで自分自身を解放できていない。だからいつまでも、しこる。自分で戦って、日本を打ち負かして勝利し祖国を解放したならば、日本の戦没者施設に文句なんかつけてきません。ちゃんと戦っていないから、しこってしまう。堂々と戦って自らを解放したのなら、われわれも敬意を表する。しかし、当時の朝鮮人、当時の大韓民国臨時政府ですけど、中国共産党も、全然戦っていない。戦っていないからスッキリしない。で、いつまでたっても文句をつけたがる。」(p.176)
このような理屈を言える人はどのような精神構造なのだろうか。
古田博司氏は、パラパラ見ただけではあるが、博学の方のようだ。無学な人が「反日」に対して感情的になって言うのではなく、古田博司氏がどのような意図で、このようなトンデモ発言をするのか。
「他の著者の方々は執筆するときに、どのようなことを考えながら書かれるのかはよく分からない。私の場合には、編集者にも明かさない隠れた質(クアリタス・オクルタ)とでもいうものがあって、いつもそれを隠しながら楽しみに書くことにしている」(p.200)そうだから、古田博司氏の意図を推測しても詮無いことだ。
ま、もう少ししてから、時間があったらきちんと読もうかな。
- 古田 博司
- 東アジア「反日」トライアングル
童門冬二氏の『北の王国―智将直江兼続』(学陽書房人物文庫)を読んだ。
文庫本(上)(下)2冊だが、読みやすい文体のでスラスラ読めた。
この著者は都庁の役人だった人で、いかにも、という文体だ。
主人公の直江兼続(なおえ・かねつぐ)は、上杉謙信が死んだ後、相続した上杉景勝の家老として活躍する人物なのだが、現代サラリーマンの思考パターンで、あたかも同時代人のように語られていく。
ま、こういうのも面白い。
日本史の勉強としては、越後から米沢まで、上杉家が国替えされていく経緯が印象深く記憶できた、と思う。
朝日だったかの書評で見かけて、増子義久氏の『東京湾が死んだ日―ルポ京葉臨海コンビナート開発史』(水曜社)を読んだのだが、ううむ。合わなかった。
なお、著者は元朝日の記者。「東京湾の死」を怒り、企業や保守政治家、行政の責任を追及する姿勢なのだが、ねえ。
確かに、産業型公害の部分はそのとおりだろうが、埋立・工場誘致や漁民の生活などは、我々日本人全体が、あるいは一人ひとりが問われるべき日本社会のあり方や価値観が根本の問題ではないのだろうか。
「東京湾の死」を語られれば、私は自らも残念に思うし、申し訳ないと思う(たぶん、京葉臨海コンビナートのおかげで、電気か化学か何かわからないけど、利便を受けているのだろうから)。
「マスコミ」の人らしく、この著者は、自らの生き方や現代日本の(読者の)価値観を反省するということは別として、とりあえず企業や保守政治家、行政を糾弾するという姿勢のようだ。そこに違和感を感じてしまったのだろうと思う。
伊藤光彦氏の『謀略の伝記 ―政治家ウェーナーの肖像』(中公新書)を読んだ。
何気なく読み始めたのだが、面白くて一気に読みきった。
やはり、ヘルベルト・ウェーナーというドイツの政治家は知らなかったのだが、実に興味深い人物だ。
ドイツの20世紀史に興味を持つきっかけになる、いい本だと思う。
この伊藤光彦さん、なかなか文章もいいように思った。
先日の『平将門』に続いて、海音寺潮五郎さんの『海と風と虹と』(時代小説文庫)を読む。 読みやすいから、ついつい手が出る。
ま、平将門を読んだんだから、藤原純友も読まなきゃ、と。
タイトルが少し凝っているのだけど(?『平将門』に比べて)、主人公は藤原純友。
『平将門』と設定が少し違っているのが、私はいいと思った(パラレル・ワールドというのか、色んな歴史があってもいいというか)のだけど、海音寺さんは後書きで言い訳していた。
・・・まじめな人なんだ(^_^;)