『幸せになる勇気』読了。

「愛と自立」を勧める話だった。



「愛」とはすなわち「私たち」の幸せについて考えること。

しかし人は「自分が愛されるために」ライフスタイルを選択している。愛されたければまず、あなたが愛せ。与えよ、さらば与えられん。

相手があなたを愛するか否かは問題ではない。愛するか否かは相手の問題だ。


皆そんなことやっていないだって?他の人が始めなくとも構わない。まずはあなたが始めるのだ。

「愛されるためのライフスタイル」を捨てること、これが「自立」であると書では示されていた。


しかし「他者のために自分を捨てろ」と聞こえるこれは、前作のメインテーマともいえる「課題の分離」(人の仕事は人の仕事、私の仕事は私の仕事と割り切ろうという話)と矛盾しないか??

僕は強くそう思った。ペテン師め、ネタ切れで適当な話をしたのだな!

いや違う。きっと「課題の分離」は邪魔だと冷淡に突っぱねろというものでなく、「相手が自分ひとりでできると信じてあげて」という意味なのだろう。信頼の上で、課題を分離する。自分のために。相手のために。いや違う、「私たち」というひとつの大きなグループのために。



自立する勇気を持て、他者を愛する勇気を持て。真の幸福とはその先に存在するものだ。

……おおよその内容はこれであっているだろうか?


何故こんなことを考えねばならないのか!

その答えも書の中に記されていた。

『最良の別れを迎えること』だ。

時間は有限で、どんな人とでもサヨナラする日が必ず来る。

「この人とすごした日々はかけがえのない日々だった」

別れの日、そんな風に思えるように。そしてまた、そんな風に思ってもらえるように。

心を覆っていた暗い不安の雲が晴れていき、見事な満月が優しく顔を覗かせるイメージが浮かんだ。





しかし僕としては、やはり「貢献感」なるものは分かるようで分からなかった。頭では分かっていても実感が伴わない。

自分がいい気持ちになればいいなんて、利己的じゃないか。それこそ「私たち」のためでなく「私」のためだけの行為じゃないか。

分からない。何故?



きっとそれはまだ僕が書斎に留まっているからだろう。現実の扉を開き、人間関係の中に生きること。「何でもない日々」という、穏やかなる大暴風雨の中で歩みを進め続けることの中でしか、実感は得られぬのであろう。

夏の熱が残る9月の初めの夜。窓から部屋に入った涼しい風が、僕の頬をそっと撫でた。それはまるで、僕のこれからの歩みを祝福するかのようだった。



日々を歩こう。最良の別れと出会うため。