タイトルの通り私もひとり。

気になって借りてきて一気に読んだ。

 

 

家族構成は全然違うし、吉行和子さんは有名人。

 

著者吉行和子さんは80歳を過ぎても現役バリバリの味のある女優さん。

前から映画、ドラマ、エッセイ等を見ていて好感の持てる人だ。

1935年生まれで、私より6歳も上だが、全く年を感じさせないし。

仕事をしている時がいちばん楽しいそうだ。

内容は以下の通り

 

父は詩人で作家の吉行エイスケ(34歳)、母はNHK朝ドラ「あぐり」の主人公である美容師のあぐり(107歳)、兄は作家の吉行淳之介(70歳)、妹は詩人・作家の吉行理恵(66歳)でそれぞれ亡くている。

特に最後まで一緒に暮らしたお母さんのことが詳しく書かれていた。

107歳まで生きた母の三回忌を終えた今だからこそ語れる家族の歴史、そして80歳を過ぎた自分の来し方について綴っている。

 

特に母のあぐりさんの生き方に感銘をうけた。

 

偶然にも現在朝ドラ「あぐり」はBSで放映中である。興味ある方は朝7時15分から放映されてますからご覧ください。

あぐりさんは16歳で結婚し、自由気儘で、破天荒な夫とはいろいろあったが、明るくて楽天家であるのが救われる。

美容師の仕事は90歳を過ぎても続けて、海外旅行は80代後半から随分楽しんだとか、90代後半で転倒骨折回復後、リハビリをやりすぎ再度転倒後、10年間寝たきりとなったそうだ。

 

そして独身の和子さんはとうとう一人になった。

1935年生まれだから、私より6歳先輩。

俳人でもあり、こんな句を詠んでいる。

 

遊べやと黄泉に誘う昼の月

コーヒーに少しの未来冬木立

 

俳句は全くダメな私だが、心に沁みた。

少しの未来 という言葉が今の私にピッタリ

お墓に行くのも楽しかったとか?

そして人生の残りの時間を楽しむと結んであった。

私も墓に行くと、帰りはなぜか気が晴れ帰り道はルンルンになる。

 

 

私は、4年前夫を見送って一人暮らしをしてる。

80歳になって思うことは何度もブログに書いてる。

悔いがないようにとか、残り少ないこれからの時間をどう過ごすかとか、認知になってしまうのか、がんになるのか?

不安になることがある。

シビア過ぎる娘曰く(看護師)

ひとは皆死ぬ時は、認知かガンかどちらかだとのたまう。

私に対して大丈夫?とか元気にしてる?

とかもっと優しい言葉をかけてくれてもいいのでは?(笑)

コロナ禍なので、わが家に来るのを自粛している。

まあ干渉されず、自由気儘で気に入っているが・・・・

 

ある著名人が言った言葉

生まれてきた時が自分の意志ではないとすれば、

この世を去る時は自分で決めさせてはもらえないだろうか。

この辺で十分だなと感じた時に死ぬことにする。

ちゃんと後始末をして、楽しくお別れパーティーでもやって、

それじゃお先にという具合にはいかないのだろうか。

 

こんなふうに人生を終わらせたいが・・・・

最後は自分では決められない。

まあ無理なことは分かっているが・・・・・

 

この年齢になると、落ち込んだり、ハイになったりの日々である。

 

ひとり暮らし、老化、孤独、孤独死、孤立、寿命、健康寿命、認知症等という言葉をやたら目にする。

介護は終わったが、いつかは介護されるのだろう。

認知になってしまうのだろうか?

私がいつか寝たきりになったらと考えただけで憂鬱になる。

不安は尽きない。

 

夫のことをちょっと思い出した。

過去のブログと重複するところがあるが・・・・・・・

 

60歳までは病気知らず、病院もほとんど縁がなかった。

現役時代の健康保険料は結構な額を払い続けた、

酒、たばこの量は半端ではない。

高度成長期、オイルショック、バブル絶頂期、バブル崩壊を経て定年を迎えた。

60歳の定年を機に徐々に身体に故障が出てきた気がする。

更に死ぬ10年前(70歳)から急速に悪くなった。

喘息、頚椎の痛み、心房細動、骨折、筋肉の衰え、頻尿、便秘、パーキンソン症候群等々。

薬を飲みながらも、兄弟達や、夫婦だけの海外、国内旅行はかなり行ったが、しかし疲れやすかった。

もう長いことはないなあと思い、私が動けるうちに娘の住んでる近くに住まいを移す決断をした訳である。

引っ越すまでの半年の間は大変だった。家の売却、住まい探し、手続き、荷造り、捨てる物等。

その間の大学病院への往復2時間の私の運転での送迎等。

今思ってもよくやったと自分を褒めたい。

38キロまで体重が減った。🤣

いよいよ伊豆に引っ越して間もなくレビー小体型認知症と診断された。(夫76歳の時)

 

看護師であった娘が近くに住んでいたので、心強かった。

4年後にはあの世に逝ってしまったのだ。享年80歳だった。

最後の1年は壮絶だった。転倒して介護申請し要支援1だったのが、わずか半年で介護4になってしまった。

肺炎3回、入院4回。起立性低血圧で度重なる失神。

排尿障害で尿道カテーテル装置を余儀なくされた。

細い管の先には尿袋に通じる。毎朝尿量を記録する日課だった。

その他にも血圧、パルスオキシメーターによる酸素の量、排便回数、痰の吸入、失神の回数、食事の様子等をパソコンのエクセルを使って記録した。訪問診療の時主治医に見せドクターは、その都度タブレットに撮影していた。

 

尿道カテーテルは約9ケ月付けっぱなしで2週間毎交換。看護師である娘にやってもらった。

排泄もダメになり、摘便もしてもらった。

月曜日から金曜日の間は、訪問診療、訪問介護、訪問リハビリ、訪問入浴で必ず他人が家にきてたから気の休まる時がなかった。

食事はベッドの上でなく海の見えるリビングで食べさせたいと思って、車椅子に移乗させるのも大変だった🤣

起立性低血圧なのですぐ失神してしまうので、痩せてしまった夫だが、体の小さい私にはかなりの負担だった。

これが在宅介護なのだ。

これ以上改善されないよと娘にも言われていた。

看取りの説明も主治医から受けていた。

覚悟ができていた。

 

その後のことは長くなるのでやめます。

ただ言えることは、夫は父と娘の絆の深さを再確認して、満足して逝ったと思う。

幸せだったと思う。

 

現在の私は、病院の世話にもならず、痛い所もなく、元気に過ごせていることを感謝している。

42キロでベスト体重を保っている。ウオーキング、ヨガ、趣味を楽しんでいる。

車の運転を77歳で辞め、歩くことでさらに筋力アップした。

もうすぐお盆がやってくる。墓前にいろいろ報告することを楽しみにしている。

 

この一冊の本を読んで、いろんなことを思い出しました。

最後まで読んでくださいましたありがとうございました😀

 

ベランダのハイビスカスが咲きました😃

 

趣味の絵 ひまわりと籠