ご心配おかけしております。
りえもんの娘です。

突然のご報告ですが、この度、私の母であるりえもんは他界いたしました。

母は、もしもその時を迎えた時は私にブログで報告をして欲しいと前々から言っていたため、私からご報告させていただきます。
そして、いつ頃かは不明なのですが母がタイトルだけを下書きに残していたため使用しています。

以下は前回のブログ(4/24)から息を引き取った日までの詳細を綴ります。


4/25 退院
退院のため病院食を少しずつ食べるようになり、退院。
帰ってからも少しは食べていましたが食欲は相変わらずほぼありませんでした。


退院して2、3日
24日のブログにも書いていた通り、日付や曜日、何をしていたのか分からないというのが悪化していた。
人の声が聞き取りずらく、呂律の回らなさも悪化し本人が1番不安だったと思います。

退院して4.5日
・会話のつじつまが合わない(少し)。
・得意だった調べ物が全く進まない(一日中紙と睨めっこしていた)。
・今まででは考えられない行動をする(白米がまともに炊けない、ケーキが上手く切れないなど)。

この時は私もなんで!?とイライラしてしまう時がありました。とても後悔しています赤ちゃん泣き

退院して6日目
・会話のつじつまが今までよりも合わなくなる
・これまで完璧だった薬の管理ができなくなる。薬を飲んだか分からなくなる。

この時点で何か異変を私は感じました。
通院の予定は次週だったのですが不安になり、
調べてみると"せん妄"の可能性が出てきました。
そして念の為、病院に明日伺うことを連絡しました。



この一時的、という文字を見て私も父も安心していました。


退院から1週間後
その翌朝、父が電話にて「せん妄の可能性がある」と主治医に話すと、「すぐに来てください」と言われたそうです。
私は学校があるため父に病院の送迎をしてもらいました。

診察内容の録音(AI要約)





この場に私はいなかったので、帰宅してからこの内容を聞き、そして余命を知り初めて実感が湧いたのか涙が止まりませんでした。
こちらに加えて、母の大切な人が居るのならばこの短期間に会った方がいいと告げられました。
そして、迷いましたがせん妄が悪化しないようにと、父と相談し母には余命を伝えないことに決めました。

入院期間
〈お見舞い〉
親戚をはじめ、母とよく関わりのあった友人や職場の方にお見舞いに来ていただきました。

母はコミュニケーションが上手く取れないながらも嬉しそうな表情を見せたり写真の時にはピースをしたりなど幸せそうで、顔を見たらすぐに理解し、人を忘れることはありませんでした。

たくさんの方に来ていただいた分、喜びと同時に疲労もあったと思います。
寝ていいよーと皆さんが言ってくれても、「寝るのはもったいない」と急に言葉を発したりもしていました。
そして大人数のお見舞いへの疑問も浮かび、自分の余命についても薄々気づいていたと思います。
その為悩み苦しむ夜があったのかもしれないと思うと心苦しく複雑な気持ちで私も過ごしていました。

〈入院期間の母の変化〉
・徐々に連絡が取れなくなる(スマホを持てない・文字が打てない、理解できない)。

・食事が減る(点滴で栄養を取っていました)。

・立ち歩きができなくなり、シャワー・トイレに行けなくなったため途中から尿道カテーテルを繋ぎ済ませていました。

・後半は眠れず一晩中うなされる(娘の私か父が付き添いで寝泊まりしていました)。

・初期は漢方とレットヴィモを毎朝晩服用できていましたが、朝もしくは夜のみになってしまう日が続きました。

まだまだあったかもしれないのですが思いつく限りこれらが母の変化でした。

亡くなる前日
前々日から父が寝泊まりし、その日は父が付き添いの日でした。
この日は、うなることはあっても一言も話すことが出来なくなっていたそうです。

一晩中眠れなかった母に対し主治医は睡眠薬を用いて眠らせる提案をしていたそうです。
しかし、薬の使用を迷っている間に友人に手を握ってもらいすやすやとようやく眠りだしたそうです。
私が夜、学校終わりに病室に入った時も気持ちよさそうに眠っており、私も父も安心しました。

また、血小板の数値の影響で血栓ができ、それが原因で水分・食事ともに喉を通らない状況になり、主治医にはあと3、4日の余命の数値であると告げられたそうです。

夜にその事をきいた私は、耳は聞こえている母に対し涙を流しながらもこれまでの感謝と愛を伝え、手を握りながら私も眠りにつきました。

翌日の朝
朝4時、2時間毎に巡回を行っている看護師さんの声が聞こえ目が覚めました。
「娘さん、お母さんがもう息をしていません、脈もありません。」と告げられ、私は言葉が出ませんでした。その時の母の身体はまだ温かく、数十分前であったことが分かりました。

すぐに父に電話をし5時頃に到着、
そして死亡確認をしていただきました。

最期は母らしい、穏やかな表情でした。

以上がこの1ヶ月間の詳細です。


お通夜、告別式、火葬を終えてもなお、父も私も実感が湧いておらず放心状態です。

告別式は母も望んでいた家族葬で、
お花はピンクと白のガーベラ、
曲はミセスの「part of me」、
そしてぬいぐるみと写真を沢山置いた母らしい可愛い装飾にしました。

遺影の笑顔の母を見て、来てくださった方々が笑みを浮かべていて、私も嬉しかったです。

ブログの方々に心配をおかけしていることも分かりながら、報告が遅くなってしまったこと、申し訳なく思っています。

母の拠り所であったこの場所で、このような報告をする日が来るとは思ってもみませんでした。

これまで母、りえもんを含め私たち家族のことを大切に想ってくださり本当にありがとうございました飛び出すハート

母は人に恵まれ本当に幸せ者だと、それだけ母は素晴らしい人柄だったのだと、この1ヶ月間、改めて感じました。

どうか、りえもんの存在を忘れずこれからも想ってくださると幸いです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
皆さまもお身体にお気をつけください。


追伸

最後にママへ

私はあなたの娘に産まれて本当に良かった。
産んでくれたこと、大切に育ててくれたこと、私を誇りに思ってくれていたこと、すべてに感謝です。ありがとう。

後悔したことを考えればたくさん出てくるけど、それ以上に、これまでママに教わったことや思い出の方が数え切れないほどあるよね。その事を心に留めて、私はこれから強く生きていきます。

私の成長をこれからも傍で見守ってくれていると信じています。愛してるよ

またね。

娘より