ココが亡くなって早2年。
街中でシーズーを見かけるたびに愛しい気持ちになって
ココと同じゴールドだ~♪とか、
ココに似てるな~、シーズー可愛いな~なんて思いながら見ている。
休日に窓を開けて居間の陽だまりで添い寝していたこと、
散歩から帰ったあと、お風呂上がりの猛ダッシュ、
ビーフジャーキーで宝探し、すごく楽しかった出来事をちょくちょく思い出す。
ちょっと年寄りくさいけれど背中が痛いときや目がかすんだ時に
ココもこんな風に痛みに耐えていたんだな、なんて考えたりもする。
そのとき、ココの力になりきれていなかった気がして
胸に鉛が落ちてくる感覚を味わう。
どれだけ愛しても大切にしても、
もっとあれこれしてあげればよかった、という後悔はついてくるのかな。
私はこの2年間で母となって、
ココと過ごして得た経験がとってもとってもとってもとっても役に立ってる。
ココを我が子のように育てていたからなのか、
人間の子どもを育てるのは初めてなのに、既視感ある、我が子の育児。
ココが第一子同然に感じている!
ココを楽しませることに燃えて
ココの要求をくみ取ることに燃えて
それは育児に大いに精通していて、大変だけど、幸せで、
ココのおかげで、余裕を持てている。
ココと出会わずに母になっていたら、だめだったことが多いと思う。
ココ。
ココ。
内緒で一緒に湯船に浸かって水遊びしたこと、
自転車の前かごに乗せて遠くまで行ってみたこと、
ココが12歳くらいの時に私が遅く帰ったら普段はそんなことしないのに
私の鼻やほっぺを数回なめてお出迎えしてくれたこと。。
ココが「妹分・子ども」的存在から「親・姉」的存在になって
私を「姉・親」としてから「子ども・妹」として見るようになっていった気がした。
語りだすと止まらなくなってしまうな~!
幸せしかない天国で今日も楽しく
明るく元気に走り回って、たくさん眠って、たくさん食べてる!