コメントに対する対応で何か思われてしまっても、こちら的に1番強く思うのは「うるせえしらねえ!!!こちとらそんなシンプルなことだけ考えて配信してんじゃねー!配信してない人には一生わからんと思うけどねえ!!」です
拾えないの当たり前じゃんとすら思う。
というか常々断りいれてるんだわ概要読めよとも。
なので私が悪いとかは1ミリも思ってない。
じゃあ何故心が折れそうになったのか?
私の「楽しい」の根っこが覆ったから。
笑ってる輪に居てくれてるから遊びに来てくれるんだ、私を良しとしてくれる人が居てくれてるんだと思ってたものがそうではなくて、そんな人が自分が思ってる以上にたくさんいるなら……何が楽しいって…?
配信は特別な場所で普通の対人コミュニティとは全く違う。好きな人だけ話を聞くはずと思ってしてるものがそうでないなら、普通の対人コミュと同じ感覚を持ち出されるなら、んもゆがここだから思ってる事話せる!の前提が崩れてしまって、普通の対人では当たり前に感じる機会のある「どう思われたかな…」とかの不安を配信でも常に考えてしまうようになる。これが悲しかったの。
基本的に配信側の思考と見てる側の思考は全く違って共有が不可能
だからわかってほしいとすら思わないけど、ひとつ主張したいのは基本的に1:1で話をしていない事。
一人のコメントに対して返していたとしても、たとえ名前を呼んでいたとしても1:複数。当たり前よね、配信なので。
例えば友達に友達を紹介するシチュがあったとして、友達1と友達2に面識はなく、自分が間に入ってる。友達1にしか分からない話を長々と友達1が続けた時、どういう気持ちになる?
1を無碍にしたくはないんだが2もいるんだよな退屈だよな…ううううう。
ってなりませんか。
それに近い焦りや2が気になる気持ちを配信してる側は不特定多数に向けて感じながら話してる。配信者全てがそうではないけれども私はそう。
(だからそれをそこまで考えすぎず気軽に話せるメン限を設けたりする。)
私の話や配信内容に沿っているものや私が理解しやすいもの、話の流れに沿って拾う順番を入れ替えたいとか、他の聞き手が興味ないことは拾わない方がいいかもとか色々考えます。(自語りが一般的に嫌われるのはこういう事)
でもそれは瞬時に常に判断する事はできないし当然完璧には出来ないし、
基本みんなのしてくれる話は拾いたいというのは前提としてあるので、
本当にそうやって拾ってないじゃん!って言われてもうるせぇむずいんだよ出来てない自覚もしとるわい、です。
コメント勢だけがキミクマではないと度々言ってますが、ロム勢もんもゆ配信にはキミたちが思ってるよりおります。アーカイブから見てくれる人もたくさんいるし、Twitterだけで反応がある人、どこからも認識できないけどずっとメンバーに入ってくれてる人などなど、参加せずとも話を聞きに来てくれてるキミクマがいて、そういうキミクマも含めて相手に話してるつもりというのが常に念頭にある。
個人として認識してんじゃないというのはこういう事。
この人はこんな人、こんな人って認識はあるけど、それでも1配信のコメントとして見るものなので……
まあこれ以上はいいね、やらんとわからんです
とにかく考えの整理もでき、励まされもし、言いたい事言って応援も改めてもらい、んもゆはんもゆ配信を今のまま大事にできそうなのでまた配信すんねー!
いつもありがとうー!