SNS | ドリームハウス南蘭得 - 秩父とダムと鉄道と。

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また、1~2か月に1回程度「秩父紀行」を投稿します(予定)。

SNSで書かれる言葉って、面と向かって言われた言葉と同じくらいの重みがあると思うんです。

いじめによる自殺問題みたいなことが起こると、皆が強い心を持ってるわけじゃないから配慮しないといけないだとか、弱い側を特殊扱いして、その人自身がどうとかいう内容の議論になることがありますけど、そういうことじゃないと思うんです。

 

確かに、傷ついたあと乗り越えられるかどうかについては、本人の心の強さが関係するかもしれません。でも暴言を吐かれたら、心の強さとか関係なく誰だって少なからず嫌な気持ちにはなると思うし、やっぱりこれは受け手の問題ではなく言った側だけの責任だと思います。

…だって、「死ね」ですよ?


相手の内的な複雑な事情が絡んだ内容で傷つけてしまった、とかだったら、ボーダーラインは難しいところがあるかもしれません。

でも、こんな初歩的な暴言、言っちゃいけないことくらい誰にだって分かるじゃないですか。


私は死ね系の悪口は言われたことがないので、実際に言われときの傷の深さがどれほどのものなのは、分かったつもりにはなれても、正確には理解できていないかもしれません。

でも、自分が応援している人(私の知人なら容易に想像がつくかと思いますが、あえて名前は伏せます)が、かつてネットで批判の対象になり、Twitter等のコメントで悪口を言われていたことがありました。

自分が応援している人が、「私は批判される覚悟だったけど、応援してくれてる人たちのことも傷つけてしまった」と、ライブ中に泣きながらファンに謝る姿、
見ていられますか?

その人が「たまたま」応援してくれているファンの期待に応えるという強い思いを貫き続けることが出来たから、だからこそ批判を乗り越え、そして今の姿があるのかもしれません。


でも、そういう人の方がむしろ特殊なタイプだと思うんです。

芸能人やキャラクターの公式アカウントなどの有名なTwitterの投稿を見ると、悪口も少なからず見つかります。探そうとしなくても案外簡単に転がっています。
匿名で何でも出来てしまう現代のネット社会では、色んなことが便利になりましたが、悪口を言うのにも便利になってしまいました。だから、有名人に悪口を書き込むのも、彼らにとっては当たり前の感覚になっているのかもしれません。私自身も、有名人のTwitterに対する悪口コメントを見かけることは頻繁にあるので、その存在自体が当たり前のような感覚になっていました。

冒頭で、SNSで書かれる言葉は面と向かって言われた言葉と同じ重みがあると言いました。暴言は皆が皆経験しているとは限らないので、人によってはイメージが湧かないかもしれませんが、例えばLINEで友達から感謝のメッセージが届けば、誰だって嬉しい気持ちになるはず。

そう考えてみれば、よくよく考えてみれば、安倍首相やクロちゃん(この2人を並立させるのが適切かは分かりませんが)のように、SNSに膨大な数の暴言や悪口を書かれても流せる人のほうが、むしろ特殊な存在なのではないでしょうか。


TwitterのようなSNSだって、皆が見れるという意味では公共施設の中にいるようなものだし、マナーやルールも同じようなものが適用されるべきだと思います。
同じことを面と向かって言うことを考えればボーダーラインは自然に見えると思うのだけど、違うでしょうか?

匿名になった途端に平気で暴言が言えてしまう。そんな人間の方が、ウイルスなんかよりもはるかに恐ろしい存在なのかもしれません。