「……居ませんか」
夜も更け、他の団員達が寝静まる深夜。リューイの部屋を訪れ、ドアをノックしたユノーフィは、部屋に誰の気配も無い事を感じ、小さく呟いた。明日は闘技大会が行われる。勇んでチームを立ててみたはいいが、たまたま間が悪かったらしく、思うように参加者が集まらず、どうしたものかと思っていたのである。仕方がないので、普段は時間が合わずに余り声をかける事もないリューイにも声をかけてみる事にしたのだが……
「居ないのでは、どうしようもないですね…」
何か用でもない限り、毎日夜半過ぎに戻ってきては、誰よりも早く家を出る男。一体、何処で何をしているのか気にならない事もないが、無為に他人を詮索する事もされる事も趣味ではない。旅団のあるこの小屋の中では、普段は食べているか食べているか呑んでいるか食べているかしかしていない。 ………もしかしたら、外でも同じ様に食べているか呑んでいるかしかしてないんじゃないだろうか。ふと、そんな想像が過ぎったが、この際忘れる事にした。『明日は我が身』という言葉がある。この場合、微妙に意味合いは違うのだが。一歩間違えば、自分がああなっていたのではないだろうか。 ……………何故だろう、どうしても他人事に思えない。あぁ、そう考えると何だかお腹が空いてきた気がする。お腹が空くと、人間(私セイレーンですが)不機嫌になるものです。ふふふ…何だか無性に、このドアを破壊したく―――
「……なるわけないでしょう。何を考えてるんですか、私は…」
軽く額に手を当て、脳裏に浮かんだパラレルワールドの自分を消し去るユノーフィさん。ただでさえ微妙に影が薄いと言うのに、これ以上誰かと被るようなステータスなんて不要極まりありません。とゆうか、ウチの旅団に腹ペコキャラは間に合ってます。これ以上増えても始末に困ります。
「はぁ…仕方ないですね…。今回は諦めて少人数で挑むか、それとも明け方誰かを捕まえてみるか……」
小さく溜息を吐き、自分の部屋へ戻る途中、ふと彼女は窓から空を見上げた。雲一つ浮かばぬ夜空に、仄かに蒼く輝くその月は―――
「…そんなところに居ましたか」
ぽつりと呟くと、やおら彼女は踵を返す。普段は…というよりは、一度も足を踏み入れた事のない場所への行き方を、記憶から引き出しながら。
「……………ユノーシスか?」
「……よく判りますね。とゆうか……私は『ユノーフィ』です。いい加減、わざと言ってるんじゃないかと疑いますけど………」
「む、すまん…。どうにも、ユノーシスで覚えてしまっていてな…。気をつける」
「………はぁ」
その言葉も聞き飽きましたけどね、と呟き、ユノーフィはリューイの隣に静かに腰を下ろした。虫の声すら聴こえない、無音の世界。今まで何処に隠れていたのかと思うほどに、頭上に広がる星空。そして、一際大きく揺れるのは…
「今日は…満月、でしたか」
「ああ…いい月だろう」
「……そうですね」
周囲に瞬く星達よりも、尚明るく。幽かに蒼く輝く月は、見事な真円を描いていた。月明かりには魔力が満ちているというが、なるほど。これほどに惹きつけられる美しさなら、ある種の【魔】が憑いているとも言えるかも知れない。
「綺麗…………ですね」
「そうだな……」
誰に向けるでもなく呟いた言葉に、誰に向けるでもない返事が返った。しばしの空白が生まれる。辺りに動く気配もなく、唯一男が杯を手繰る動きだけが、その風景に二次元と三次元の線引きをする。やがて杯が空になり、そこに新たに酒を注ぎながら、男は静かに尋ねた。
「しかし、どうして判った…?」
「…はい? 何がでしょうか」
「俺がここに居るのが、だな」
「あぁ………」
薄く唇だけで微笑むと、それですよ、とユノーフィは屋根の上を指差した。そこには、月明かりに照らされ、薄く長く地面へと伸びる…
「影…か。 ふむ、俺もまだまだ甘いと云う事か…」
「…別に、忍びじゃないんですから、隠密行動なんて必要ないでしょうに……」
本当に無駄な事が好きですね、と呆れるユノーフィに、リューイは喉だけで笑って返した。
「一生を通じて必要無いかも知れん知識・技量だろうと、会得しておいて損になるという事はないぞ?」
「………よく判りません」
無駄な事は極力省き、必要不必要を取捨選択するのが、彼女の学び方だ。全てを捨てず、明確に無意味と思えるものすら糧としようとする彼の生き方とは、相容れないモノが多過ぎる。
「まぁ、人の考え方など千差万別だ。 己に合う生き方が出来れば、それでいい」
「……一般論ですね」
「ふむ…もう少し、穿った言い方が好みだったか?」
「いえ……別に」
そう返すと、何がおかしかったのか、リューイはまた喉を震わせた。
相変わらず、掴み辛い人だ…。そう思いつつ、また小さく溜息を零した。
元来疑り深い彼女は、接点を持った人間を細かく分析する癖がある。相手の言動を逐一把握し、その思考ルーチンや行動原理を読み解き、信頼に足るべき人物かを吟味する。それは、人間関係と云うよりはチェスの様なものかも知れない。相手の先の先を読み、自己に対して最善の一手を打つ。会話という『駒』を使い、如何に相手より優位に立てるか。それが、ユノーフィ・ブルーライトの生き方であり、矜持でもある。時折、自分の思考は歪んでいるのではないかと思う事もある。しかして、今更変えられるものでもない。根拠の無い信頼を誰かに抱けるほど、自分は優しい世界で生きてはいない。
そんな彼女が、現在頭を抱えている相手が居る。一人は、宵闇の道化師・イム・カルバン。口から先に生まれてきた代表格のような男であり、旅団内と言わず同盟内ですら五指に入るであろう食わせ者。何処までが本気で、何処までが冗談なのか、残念ながら彼女の力量では量り切る事が出来ないでいる。ある意味で、彼女の様な人間にとって、最も『天敵』と呼ぶに相応しい相手なのかも知れない。だがこちらはまだ、諦めがつくという点で、判りやすくていいのかも知れない。誰よりも『道化師-ジョーカー-』と云う名の板についた相手は、元より手札と考える方が間違っているものだ。それよりも問題なのが、もう一人………。目の前で静かに酒を飲む男……仮初めの伽藍洞・リューイ・アクラス。一見、クールな振る舞いを見せるが、実際には情に脆く、面倒見もよい。常識は人並みに持ち合わせているのだが、時折彼独自の常識があるのか、予測もつかない行動に出る事もある。 ……これだけならば、構わない。意外な二面性を持った人物など、世の中にはごまんと居るのだ。表の顔と裏の顔。それはコインの表裏と同じく、結局は一つのモノでしかない。だがどうにも、この男はそれとはまた違ったように感じられてならないのだ。垣間見せる表情の中に、ほんの時たま違う表情が混じる事がある。表と裏ではない。そうゆうレベルではなく、『リューイ・アクラス』と云う個人ではない表情。『匂いが違う』とでも言えばいいのだろうか………。何か根本から違う……そう、まるで別人の様な表情が浮き上がる時がある。常人ならば気取る事さえ出来ないであろうその機微を、その性質から気付いてしまった彼女は、無視して構わないはずのそれを無視出来ないでいる。それ故に………彼女にとってこの男は、イム以上に不可解で、理解の及ばない存在となってしまっている。
「……それで? 用件はなんだ」
「……はい?」
ほんの僅か、思考の中に埋没していた意識は、その元凶からの一言で霧散してしまっていた。困ったように口端を歪めると、男は二の句を継ぐ。
「こんな時間に、わざわざこんなところまで出向いてきたんだ……よもや、気紛れですというわけでもなかろう」
「…ですね。 実は、お願いがあってきました」
「ふむ…俺に何が出来るとも判らんが、聞くだけ聞いておこう」
少しだけ半身になり話を聞く体勢になったのを見て、ユノーフィはこの場所へ来た経緯を伝えた。
「…とゆうわけでして、今私のチームには師匠しか居ません。 もしよろしければ、私のチームに入って頂けないかという、勧誘です」
「なるほどな…。 力になりたいのは山々だが、先程サリヤのチームに入ると約束してしまったのでな。 そちらを反故にも出来ん」
「そうでしたか…。 一足違い、というやつですね」
「すまんな」
「いえ、先約があるのでしたら仕方ありません。 お気になさらず。 …それでは、明日もありますので、私はこれで」
無駄足でしたか、と聞こえぬように一人ごちて、ユノーフィは静かに立ち上がる。既に視線を空へと戻していたリューイは、その背に向けて意外な言葉を向けた。
「ところで、ユノーシス………酒は呑めるのか?」
「―――は?」
「いやなに、ただの気紛れだ。 よければ少し付き合わないかと思ってな」
……この人は、人の話を聞いていたのだろうか?今私は、『明日がある』と言ったばかりなのだが……。とゆうか、早速『ユノーシス』呼ばわりですか。いっそ、わざとやってるとしか思えないのですが。ふふふ、このお馬鹿さんは一度、ここから突き落としてあげた方がいいのかも知れません。我ながら名案ですね。素晴らしい考えです、えぇとても。
「………一応、未成年ですけれども」
頭の中でそんな黒い事を考えながらも、表には出さないでさらっと答えるユノーフィ。怖い子。
「くくっ……『見た目の年齢は』…だろう?」
それを知ってか知らずか、悪戯を思いついた子供のような目をリューイは返した。あぁ、まただ…と、ユノーフィは思う。今の目は違う。今の子供のような目は、『リューイ・アクラス』という人物から、どうにもかけ離れている。 ―――だからかも知れない。
「……そう、ですね。 では、少しだけ………」
そう答えて、彼女は再び男の隣へ腰を下ろした。
「さて……残念ながら、杯は一つしかないわけだが」
「…誘っておいてそれですか。 計画性の欠片もないですね」
「先程言っただろう、気紛れだとな。 ふむ、気にする性質ならば、もう一つ用意するが」
「……いえ、私は別に構いませんよ」
そんな事を気にするような乙女心など持ち合わせていませんから、とユノーフィは自嘲気味に笑った。それに喉を鳴らす事で答え、杯に半分ほど注ぐと、リューイは彼女にそれを手渡した。どうも、と短く答え、口をつけようとしたユノーフィは、鼻腔を擽る香りにはたと動きを止めた。今まで呑んだ事のあるものとは、何か違う香り…。何と言えばいいのだろう。果実の香りとはまた違う、何か独特の甘い香りを何と表現すればいいのだろうか。
「楓華の酒でな、【日本酒】と言うらしい。 果実ではなく、米を発酵させて作るのだとか言っていたな」
「米……ですか」
道理で、不思議な香りがするはずだ。得心のいったユノーフィは、今度は動きを止める事なく、見た目ただの水にしか見えないそれをゆっくりと口内へ流し込んだ。まず、その香りが鼻の奥まで抜けていくのが判った。それなりにきつい酒なのか、少し痛みを感じる程度の辛味が喉を通り抜けた。しかし辛味が抜けるか抜けないかの内に、口中にじんわりと不思議な甘味が広がっていくのを感じる。辛いのに甘い…。矛盾するはずの二つの味覚が、驚くほどすんなりと調和しているそれは、とても……
「……………おいしい」
筆舌にし難いその味はそう、ただ純粋に美味だった。
「ほう……その味が判るか。 意外と、いける口なのではないか…?」
心持ち嬉しそうに聞こえる声音でリューイは呟くと、戻ってきた杯に再び酒を注ぎ直し、一息で流し込んだ。重度の味覚障害者に言われても釈然としないのだが、確かに美味しいお酒ではあったので、ユノーフィは何も言わない事にした。だって、お酒に罪はない。まだ口内に残る香りと甘味を楽しみながら、ほぅ、と小さく息を吐く。そろそろ冬に差し掛かり、この時間は多少冷え込む。だがその冷気が、丁度よい具合に心地よかった。冬の夜半の静謐な空気に、満天の星空。私の好きな蒼い月と、美味しいお酒。隣に居るのが気の置けない相手というのが少々減点ではあるが……。 ……うん、たまには気紛れに付き合ってみるのも悪くはない。彼女にしては珍しく、素直にそう思う事が出来た。何だ、私にも風情を楽しむ事が出来るじゃないか。普段なら歯牙にもかけない事ではあるが、こうゆうのもいいものなのかも知れない。と、目の前に再び突き出された杯を見て、ふと尋ねてみた。
「これは……何という銘のお酒ですか…?」
「む…? 【日本酒】だ」
「いえ、そうではなく…」
どうでもいいところで無意識にボケないで欲しい、この天然馬鹿。それとも酔っ払ってるのですか、もしかして。
「……あぁ、そうゆう事か。 ならば、現物を見た方が早かろう」
ようやく言葉の意味を察したのか、そう言ってリューイは酒瓶をユノーフィの前に置いた。
「………あの」
「む、どうした?」
「……………読めません」
不思議な間が生まれた。人はそれを『妖精さんの悪戯』という。
「……それもそうか。 楓華の言葉だからな……」
「日常会話程度なら困りませんが、やはり読み書きとなると……」
「まぁ、普通はそうだろう。 ともあれ、それは【蒼月】と書いてある」
「ソウゲツ…ですか」
「意訳すれば、【アオイツキ】と云う意味になるな」
「なるほど…。 それはまた、『狙い澄ましたような銘』ですね」
「くくっ…そうだな。 まぁ、そうゆう理由で持ってきたのだから仕方あるまい」
まぁ気にするな、と呟き、リューイはそっと杯を握らせた。蒼い満月の輝く夜に、屋根の上でその名の通りのお酒を呑む………。素でこんな事をするのだから、本当にクサいというか何というか…。でもまぁ、それも悪くないと思っているのだから、もしかしたら酔っているのは自分かも知れないな、とも思ったりして。そんな瑣末な事を考えながら、また一口だけ口をつけ、満足気な溜息を吐いた時、何かを思い出したようにリューイがこちらを向いた。
「そういえばな…。 『月見酒』と云うのを知っているか?」
「『月見酒』…ですか。 夜空を肴にお酒を呑む事でしょうか…? それなら、一応知識も経験もありますが」
「…経験があると言うのは、聞かなかった事にしておこう。 それはともかく、楓華ではその月見酒、また少し別の意味合いがあるらしい」
「別の意味合い、ですか…。 それはまた、興味の沸く話ですね」
今日は、いつになく饒舌ですね。そんな事を思う。今まで、これほど積極的に話をする事があっただろうか、と。勿論、彼だけでなく、お互いの話。ほんの僅か、顔が熱い。動悸も早い気がする。やはり、少し……酔っているのかも知れない。
「ふむ、『百聞は一見に如かず』、だな。 実際にやってみた方が早い」
そう言ってリューイは、やおら身を乗り出した。たったの30cm、二人の距離が縮まった。また少しだけ、鼓動が早くなった気がした。リューイはゆっくりと手を伸ばすと、くいっ、と杯の角度を変えた。微かに、その手が触れている。思ったよりも無骨で、暖かい手だった。手の暖かい人は、心が冷たいんでしたっけ……。そんなどうでもいい事だけを考えてしまう。あぁ、本当に私は酔っているなぁ、と何度目かの確認をする。そうでないと……今の自分に説明がつきそうになかったから。
「ふむ、こんなものか。 見てみろ」
「はい………。 あ……」
言われて、杯を覗き込んで気付いた。杯の中で揺れる水面の上に、陽炎の如く映るそれは、空に浮かぶ【蒼月】だった。
「こうして、空の月と地上の月の両方を眺めながら呑む酒を『月見酒』というそうだ」
「それは…また……」
「…こうして浮かべた『月』を『呑む』。 そうゆう意味もあるらしいがな」
「『月呑み酒』…だから、『月見酒』…と、云うわけですか」
「そうゆう事だな」
そう言って微かに微笑むと、彼は身を離し、元の位置に座り直した。 ……少しだけ、肌寒くなったのが気になった。
「……面白い考え方をするところですね、楓華は」
「そうだな…。 こうゆうのを、『風流』というそうだ」
「『風流』……ですか。 何となく…いい響き、ですね……」
ぽつりと呟いて、ユノーフィは小さく笑みを零した。それは本当に珍しい………久方ぶりの自然な笑み。そのまま、文字通りに月を呑み干し、ありがとうございます、ともう一度リューイに向けて微笑んだ。一瞬意表を突かれたような顔をしていたリューイは、返された杯に我に返ったのか、ふむ、と呟きながらまた酒を注いだ。
「……どうかしましたか」
「いやなに、少し驚いただけだ。 そんな顔もするのだな、とな」
「そんな顔…? ……何かおかしな顔でもしましたか、私」
「ふむ、無意識か…。 まぁ、その方が自然と云うものだ」
「…?」
おかしな事を言う人ですね、と首を傾げ、くすくすとユノーフィは笑った。その横顔をしばし眺め、視線を月へと戻すと、今度は味わうようにゆっくりと杯を傾けた。
「―――その顔」
「はい?」
「普段から、そうやって笑うといい」
「………は?」
何を唐突に、と言おうとした彼女の言葉を遮るように、彼はとんでもない事を言い出した。
「お前の笑った顔は綺麗だからな。 だから、笑っていた方がいい」
「――――――――――」
とくん… 直接脳に響くような大きな音が、一つ聞こえた。それが何の音なのか認識する前に、身体中に熱が篭るのを感じた。彼の表情を伺ってみる。特にこれといった変化は見られない。言うだけ言って満足したのか、美味しそうにお酒を楽しんでらっしゃいます。つまり、素で……本心から今の言葉を口にしたのでしょう。口説くわけでもなくこんな言葉が出てくるなんて、弩天然のスケコマシですか、貴様。大体今時、『笑顔が綺麗だよ』なんて、そんな陳腐な台詞で堕ちる女が何処に居ますか。居ません。えぇ、居ませんとも。居るわけがない。そもそも私は、彼の理解し難い二面性に興味があるのであって、彼そのものに興味があるわけではないのですから。言うなればそう、研究対象といいますか。そうゆうベクトルの興味です。他にあるわけがないでしょう。え?誰に言い訳してるのか、ですか?そんなの判るわけないでしょう。そもそも言い訳とは何ですか、心外な。私は本音をぶち撒けているだけなんですから。ふふふ……あははははははははははは!!!
「…仰る意味はよく判りませんが、褒められたようなので、一応お礼を言っておきます」
「ふむ…思った事を言っただけで、礼を言われる覚えはないのだが。 まぁ無理に笑っても意味はないだろうしな、もっと笑えるよう努力すべきはこちらの方か」
「……お好きにどうぞ」
多少頭の中がテンパっていても、そんなことおくびにも出さないユノーフィさん。怖い子。そしてリューイさんはそろそろ黙って下さい。色々な意味で。残っていた酒をくいっと飲み干すと、リューイはゆっくりと立ち上がった。
「さて…俺のチームは午前の部なのでな。そろそろ寝ておく事にするが…お前はどうする?」
「私は午後の部ですし……もう少し、酔いを醒ましてからにします」
「そうか…。 それは置いて行くから好きにしろ。 面倒なら放置して構わん、どうせここには俺しかこないしな」
「そうですか…。 ………それでは、おやすみなさい」
「あぁ……おやすみ」
そう言ってリューイは、屋根から下りて行く。一人残されたユノーフィは、酒瓶を手繰り寄せると、そっと杯に注いだ。もう一度、水面に月を浮かせてから、ゆっくりと飲み干した。とても辛くて……とても、甘い味。やっぱり酔ってますね、と呟き、更に杯を満たしてゆく。静か過ぎる夜に、一人屋根の上で飲むお酒は、美味しいけれど……それ以上酔えそうにはなかった。思い出したように吹いた風に、僅かに身震いする。口振りからして、毎日こうしてるんじゃないのでしょうか、と考えた。
「風邪をひいても………知りませんよ」
誰ともなくそう呟いて、また一口……蒼い月に口をつけた。 目覚めは最悪だった。結局、半分ほど残っていたお酒を全て飲み終わって、床に入ったのは陽も昇りかけた頃。こんなコンディションで闘技大会に出なければいけないかと思うと、重い頭がさらに沈んでゆく気がする。そこまで考えて、はたと気がついた。
「……結局、私と師匠の二人だけですか………」
予定では、起きてから誰かしら捕まえるつもりだったのが、大誤算である。お酒はしばらく控えよう……そう思いながらもぞもぞとベッドから降りたところで、ノックの音がした。
「ユノ…ユノーフィ? 起きてらっしゃいまして?」
「………師匠? はい…今起きたところですが……」
「今って…もうお昼ですわよ…。 まぁともかく、入りますわよ?」
そう言いながらドアを開け、顔を覗かせたアサガオは、部屋に入るなり眉を顰めた。
「あなたねぇ…。 相当酒臭いですわよ…」
「そう…ですか?」
「まったく…酒は呑んでも呑まれるな、ですわ」
ぶつくさ言いながら、アサガオは窓を開けた。そこから流れ込む新鮮な空気に、あぁ確かに臭うかもしれない、と小さく呟いた。まだ重い頭を引きずる様にクローゼットへと進み、装備の確認をしていく。
「はぁ…支度は済んだのかと確認にきてみれば、この有様…。 今回は諦めた方がいいかもしれませんわね」
「………すみません」
「まぁいいですわ。 私達の実力では、参加する事に意義があるんですもの。 戦績なんて二の次です。 取り敢えずユノーフィ、酔い醒ましにこれお飲みなさいな」
「はい……。 ……ごふっ!?」
手渡されたコップの液体を、まだ胡乱な頭で素直に飲んだユノーフィさん。思いっきり噴きました。ちょっぴり、鼻にも入った模様。
「し、師匠…これは……」
「一二三茶ですわ」
「大会前から、私を重傷にする気ですか……」
薬は、用法・用量を守って正しく使いましょう。間違っても毒なんて飲んじゃダメ、絶対。
「いい気付けにはなったでしょう?」
「えぇ…これ以上ない程に、アルコールは抜けました…。 代わりに少しばかり、手足が痺れますが」
「重畳重畳。 頭がしゃっきりしていれば、多少身体がついてこなくても何とかなりますわ」
………なるのか?
「それじゃあ、支度が済んだらとっとと玄関までいらっしゃいな。 他の二人は、とっくに待ってますわよ」
「判りました………? 他の二人…?」
「えぇ、他の二人ですわ。 それでは、なるべく早くね」
呼び止める間もなく、アサガオは部屋を出て行ってしまった。 …きっと、師匠が誰か誘ってくれたのだろう。そう思う事にして、ユノーフィはいそいそと支度を始めた。指先が痺れて、着替えが思うように出来なかったのは、きっとキノセイデスヨ。
「……遅い。 リーダーを務める気なら、もう少し自覚を持ったらどうだ」
「まぁまぁ、そうカリカリするなよセクたん。 落ち着きって物を持たないと、女にモテないぞ?」
「別にモテたいとも思わん。 そもそもお前に言われたくはない。 後、そのセクたんというのをやめろ」
「はっはっは、このムッツリさんめ! 大会中は、ウシロニキヲツケロヨ」
「ンマ! 味方を狙うとは何事ですか!」
「…珍しく、アサガオがまともな事を言っ―――」
「私に当てたら承知しませんわよ」
「俺には構わんと言う事か、それは………」
「……何ですか、この状況は」
支度を済ませて玄関に赴くと、そこにはアサガオと他二名……セクレドとンマが居た。
「まぁ冗談はともかく、さっさと行くとしよう。 そろそろいい時間だしな」
「本当に冗談か怪しいものだな…。 まぁいい…取り敢えず、作戦はどうするつもりだユノーフィ」
「あ…はい…。 作戦としては、特に指示はありません。 各自お好きなように動いて下さって結構です」
「ふむ、そうか…。 俺としては願ったりな作戦だな。 了解だ、全力でいかせてもらう」
「じゃあ俺は、全力でトカゲヲネラウトスルカ」
「その時は、まずお前から潰す」
仲が良いのか悪いのか判らない凸凹コンビは、飽きもせずに言い合いを続けながら、ずんずんと歩いて行く。後に続くように、アサガオとユノーフィも歩みを進めた。
「あの…ありがとうございます、師匠」
「……一二三茶?」
「います」
面子を揃えてくれた事についてです、と溜息混じりにユノーフィは答えた。その言に、アサガオは小首を傾げる。
「それは、筋違いというやつですわ。 お礼なら、直接本人にお言いなさいな」
「…え? でも……」
「あの二人に声をかけたのは私ではありません、って事ですわ。 後は、考えれば判る事だと思いますけれど」
そう言って、アサガオは小さく微笑んだ。師匠でないとすると、他に該当する者など限られる。だが、他に考えられる人物は居ない。居るとすれば………
「………まさか、ですよね」
一瞬、脳裏を過ぎった名前を否定する。いくらなんでも、そう考えるには都合が良過ぎるだろう。しかし、その否定も
「そのまさか、ですわよ?」
今一度の否定で、肯定へと到ってしまう。
「……リューイさんが?」
「ええ、朝出かける前に、暇そうだった二人を捕まえて」
「そう………ですか」
恐らく、昨日の時点でそのつもりだったのだろう。私が昼まで寝ている事も予測済みだったに違いない。まったく……要らぬ気ばかり回る人だ。
「まぁ誰でもいいじゃありませんこと? こうして、フルメンバーで参加出来るのですから。 過程は瑣末な事ですわ」
「………ですね。 お礼は…後でしておきます」
「そうしなさいな。 昨夜の分も含めて……ね」
「えぇ、そうです―――――」
―――――ね?
「………見てたんですか?」
「えぇ、『忍びですから、隠密行動は必要』……でしょう?」
「ほぼ全部、ですか………」
やはりこの人は侮れない。イムさんとは別の意味で、私にとっての『天敵』と言えるのかもしれない。
「それにしましても……リューイのアレは、一体なんですの? アレで口説いているつもりだったのかしら……」
「………素だと思いますよ、多分」
「…まぁ、リューイなら有り得ますわね……。 そうゆう事に興味なさそうですし」
「ですね……。 本気で口説いていたとして、あんな言葉で堕ちる人なんていませんよ」
「まったくもって。 …あぁでも、それ抜きで考えるといい事言ってるのは間違いないですわね。 ユノさん、もう少し笑った方がいいですわよ?」
「………考えておきます」
「うん、それがいいですわ。 意識するのとしないのとでは、結果は違いましてよ。 ……さて、それでは少し急ぎましょうか。 時間、結構際どいですわ」
言って、アサガオは前の二人に追いつこうと駆け出した。それに続こうと、ユノーフィも少しだけ歩調を速める。
―――『お前の笑った顔は綺麗だからな。 だから、笑っていた方がいい』―――
陳腐で飾りも無い言葉が、冷たい横顔と共に脳裏にリフレインする。 …とくん また、あの音が聞こえた。 ………どうやら、この酔いはしばらく醒めそうになさそうだ。
青イ月恋ニオチル 編 に続く