吉本辞めました。
三日悩んだ。
メールの文章を作成し、送るまでに。
辞めようと思ってからは実に半年悩んだ。
そしてついに送信ボタンを押した。
元相方が「引き留められたよ」と言っていたのを思い出した。
翌日来た返信は三行半。
ただ受理しましたという内容だけだった。
これで私の9年半に渡る吉本歴は幕を閉じた。
吉本に入ったきっかけは311。
当時30歳、茨城でBARの店長をしていた私は棚から落ちて割れた大量の酒瓶を眺めながらどこか現実味のなさを感じていた。まさに夢でもみているかの気持ちだった。
パートに出ていた妻と保育園に行っていた子供の安否を確認した後は本店店主であり社長の師匠と相談し「それぞれやれる範囲でやろう」という話になった。
師匠は奥さんと弟子の3人で、地元では人気のBARをやっていた。若いころは銀座の老舗BARで働いていたが独立し、地元でBARを始めた。
客だった私は2号店店長を探しているという話を聞き、ぜひやらせてほしいと名乗り出た。
師匠は「ファジーなところがいいね」と私に店を任せてくれた。
そして軌道に乗り始めた3年目3月11日、日本中が不安に包まれた。
震源地の状況は同じ日本とは思えないほどだった。
そしてまた起こるのではないか、つぎはここが震源地に…そう心配するようになった。
明日生きている保証はない、そう感じさせられる出来事だった。
今までより少し不安定になった私は少し性格も変化したと思う。
それまでの人生、自信満々でわりと恐れも知らずそれこそ主催で舞台をやったり主演もしたりしていた。
しかしそれからは卑屈になる事も多くなった。
妻との関係も少しずつ悪くなり、夜の街へ遊びに行くようになった。
そして限界に達し離婚。
無責任な私はすぐさま彼女をつくり、半同棲のような生活も始めた。
本当のクズとは私のことを言うのだろう。
先が見えない不安な時間をただごまかして過ごしていた。
前々から参加していた地元のコント集団にも積極的に顔を出すようになった。
その中でも10年来の親友で、そこに私を誘ってくれた同い年のオオクボが主催で舞台をやるというので参加した。
私も好きなつかこうへい作品。その中でも助平で最低な男の役。私以外の誰につとまろうか。
多くのお客さんにも観てもらって成功を収めた。
また少し自信がもてるようになった。
私が離婚しても、すぐ新しい彼女を作っても、風俗にはまってもオオクボは私を見捨てなかった。
大きな腹を揺らし声を出して笑ってくれた。
今度は2人でコントでもやろうと話していた。
しかし死んでしまった。
脳に原因不明の腫瘍ができ、入院したがそのままゆっくり死んでいった。
信じられなかった。
また私は不安に襲われることになった。
死を身近に感じた。
仕事もままならなくなった私を見かねた師匠は、私をクビにした。
師匠の優しさだった。
あのままやっていても私は店をダメにしていただろう。
もっと酒におぼれひどい接客をし女遊びも加速していただろう。
しかし師匠がそっと止めてくれた。
私も頭のどこかで「辞めてしまいたい」という気持ちがあった。
本当に頭があがらない。
その後、地元で多少私の悪評が噂されていたようで師匠夫妻に迷惑を掛けてしまったことが申し訳なかった。
退職金まで用意して後押ししてくれた。
その瞬間、私のやることが決まった。
「お笑いをやろう」
師匠にクビを告げられるまで何の目標もなくただ不安をごまかして生きていた。
離婚もした。無二の親友も無くした。
そして明日生きていられる保障なんてない。
ならば人生をかけて好きなことをやろう。
そしてどうせやるならトップに近いところでやろう。
お笑いと言えば吉本だ。
吉本でやるには1年間NSCに通う必要がある。
幸い手元には退職金がある。
導かれているような気すらした。
そもそも高校生時代、NSCに興味を持ち問い合わせたこともある。
それから10年以上経ってしまったが人生で1番若い時は今だ。
そう思い32才にしてついに吉本の門をくぐった。
つづく