ザキさんのブログ

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旅行の思い出話やら社会への不満やらw

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いきなり更新が途絶えました。
先週、祖父が膵臓がんのため亡くなりました。79歳でした。
母方の祖父なのですが、父方の祖父は私が生まれる前に亡くなってしまったので、祖父といえばこの人のイメージしかありません。
昔気質の頑固なじいさんでした。
少年野球の監督やるほど野球好きで
私ともよくキャッチボールをしてくれました。
残念ながらセンスはなかったです。
成長する度に(20歳過ぎてからも)手の大きさ比べや腕相撲を挑まれ
まぁ元気だった。

でも、歳と病気には誰も勝てないようです。
がんを発症。わかった時には既に進行しており、手術をしても回復には至らず
遂には余命宣告。
私は仕事で中々顔も出せず、親から日に日に弱って行くという現状を聞かされるだけでした。
ようやく見舞いに行けたのは亡くなる一週間前と前日。
一週間はまだ自力で歩けていた。私の顔を見るや、手を握りしめて泣き出した。
あの頑固なイメージしかないじいちゃん。人前で泣くんだ。と少し驚いた。
「あと1、2年生きていたかった」
そんな弱音を吐く祖父に、かけてやる言葉が見つかりませんでした。
「希望を捨てず、頑張ろう」とか、そんな言葉はかけられない。
もう死を宣告された人に、そんな安易なこと言えない。

次に会った時には、もう起き上がることすらできない状態でした。
モルヒネを投与したばかりで、段々意識が朦朧としてくる段階。もうこうなると、本当のカウントダウンなんですね。
目を開けて、こっちを見ても誰だかは認識できてないような反応だった。
寝てるだけの祖父を小一時間眺めるだけだった。
その翌朝、家族に看取られ息を引き取りました。
私は仕事が休めずその場に立ち会えず。


死ぬのがわかっていながら生きなければならないってどんな気持ちなんだろう。
自分がその立場になった時、まだ生きたいと思うことができるか。
「もっと生きたかったなぁ」という祖父の言葉は、自分の人生を見つめ直すきっかけになる重い言葉だった。
79年間お疲れ様でした。
そのうちの25年間。祖父の人生の中のほんの一部でしたが、今までありがとうございました。
安らかに眠って下さい。

これからは、親をほんの少しだけ大切にしようと、そんなことを思いました。