20歳で下垂体線種を患い、発覚、入院、手術を経て現在の治療の事等を書いていこうと思います。

途中、メンタルブレイクしかけたりしますがご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

約2年ほど前、それまで味わったことの無いような頭痛に襲われ

もしかしたら死ぬのかもしれない、と近くに住んでいた祖母を頼りました。

第一に救急車を呼ぶとか、タクシーを呼ぶとか、そういった冷静な判断はできず

昔から親より慕っていた祖母宅のインターホンを押し事情を説明し倒れこみました。

 

祖母も動揺していたと思います。

それまで大きな病気もした事のない私が汗を流し酷い頭痛を訴えている。

まず親に連絡が入り、近くの緊急外来に電話をするも頭を打った可能性があるかもしれない、と言うと

どの病院も受け入れることは出来ないといいまた次の病院へと繰り返されるだけでした。

私は頭を打っていなかったはずだったんですけどね XD

 

何とか診て下さる病院が見つかり、祖母、母親が大急ぎで準備をしてくれて

車に乗り病院についたのですが、そこから一歩歩くたびにその場で蹲り嘔吐また一歩歩いては嘔吐の繰り返し

病院に入ってからの記憶は無く、目が覚めたときには白いとは言い難い病室の天井でした。

 

訳もわからずただボーっとした意識の中で、生きていた...と思いました。

 

翌日主治医の先生に下垂体線種という脳の病気であることを教えて頂きました。

それに伴い先端巨大 糖尿病等覚えているもの、実感があるものはこの二つです。

下垂体線種と聞いてピンとくる方、そうでない方がいらっしゃると思います。

私は後者でした。 下垂体線種、私の場合は成長ホルモンが異常に分泌されることで

四肢の肥大、顔面の変形、放っておけば寿命が10~15年短くなる等

良性腫瘍でありながら腫瘍の肥大が進むと視覚の神経を圧迫しガンのリスクも増え

第一に手術しなくてはならない事。

 

最初は不安しかありませんでした。

手術等経験も無く、これまで大病を患うことなく健康に生きていた。

皆さんそうだと思います。病気の足音に気付くのは非常に難しいことだと思います。

私自身、顔面の変形や四肢の肥大等の兆候に全く気付くことなく、平穏な日々を送っていました。

 

ただ周りの方々に不安を見せたくなく 祖母 母親 看護師さん 主治医

誰にも胸の内を打ち明けられずにいました。

 

 

入院生活もほぼ初めて 迷惑な同室の老人 普段と違う生活にストレスが溜まり

便秘になり眠れなくなりました。

精神的に不安定になりながら、糖尿病専用メニューだけでは足りず常に空腹状態

入院中に付けていた日記には脂ぎったラーメンが食べたいだとか 趣味のお菓子作りがしたい等

食に関することしか書いていなかったです。

 

 

第一回目の入院、病院では血糖値が高すぎるため、手術は出来ないとの事で

糖尿病の改善を目的としたものになりました。

糖尿病専用メニュー、インスリンによる治療でみるみる血糖値は正常値より少し低いくらいで安定し

転院後に手術もしていただける病院にアポを取って頂き、今後主治医となって頂ける先生から

どのような病気であるか、今後の治療方針、治療目的は成長ホルモンの値の正常化であって

顔面の変形や四肢の肥大を治す為ではないと4,5回程

 

20歳で発症し、気付いたのは23歳3年付き合ってきた顎や体をコンプレックスだとは思ってはいなかったので

気にしてると思われてるのかと逆に気を使いました。

 

その日は前主治医に今日は好きなだけ美味しいもの食べておいでと許可を頂いてたので

病院に入っている食事処でハンバーグとエビフライを!

糖尿病食は油っ気が無かった事もありエビフライを噛んだ時のサクっとした食感、染み出る油に感動した事を覚えています。

 

そして、毎日顔を合わせる度に早く退院させてくーださいとお願いしてた成果か、血糖値が安定した成果か

21日目に漸く家に戻ることができ、安眠&快便

 

やはり家が一番落ち着き、精神的にも肉体的にもリラックスできました。

 

入院、手術の日程は病室が空き次第。 もしかしたら5ヶ月先かそれ以上か等と聞いていたので

久しぶりの生活を満喫できると安心していました。

それから3ヵ月後、予想外に早い電話に焦りながら12月29日に入院。

翌年の1月5日に手術が決定しました。

 

病院で年を越すことになるのかと肩を落とし病院に行くと検査検査&検査と院内を移動しっぱなし

最終的には院内だけでは収まらず提携先の眼科へ

へとへとになりながら病室に戻ると看護師さんから年末は検査等しないのでお家へ帰られますか?

感涙しながらウキウキで帰りますと言い早速我が家に。

3日迄の先送りですが素晴らしいマイホームライフを送り手術前日に病院に。

それまでのほほんと私は寝てるだけですからと言っていた筈が前日の夜には恐怖しか感じず

麻酔科で受けた説明が脳裏を過ぎり、もしかしたら死ぬのかもしれないのかということだけしか考えられなくなり

携帯で麻酔の事を朝まで調べていました。

 

看護師さんとその事を話しながら手術室の前へ行き偶々診察して頂いた麻酔科の先生が手術も担当して頂けるということで

少し気持ちも落ち着き不安も多少薄れましたが、手術室の空気といいますかとても異質な空間に思えて

麻酔効いてくれ!絶対途中で切れるなよ!と思いながらも3秒持たずに意識は無くなり

目が覚めればICUへの道程。

母 祖母 祖父が脇に居り、手術は成功したんだと聞かされました

ICU内はとても暇で苦痛でした。

痛みは一切無く意識もしっかりしていたのですが、鼻からの手術でしたので鼻腔は血が固まり塞がっており、口内は血糊の様に

喉が渇いても口を濯ぐことしか出来ず、濯いでも喉も潤わず浅黒い血が混ざった水が口から出てくるだけ

眠れもせず看護師さんと常駐してくださってるお医者さんが笑いながら雑談をしている声だけが聞こえてくるだけでした

 

翌日、病室に移り漸く水分を取っていいとの事でしたので、念願の水をたくさんのみ

小さな幸せですが、もしかしたら二度と味わえないものだったのかもしれないと...

その後家族と話し、本来2時間で終わる予定だった手術が破裂した腫瘍にかさぶたができていた事によって難航し

結果的に倍の4時間になっていたこと、私の腫瘍は大きな血管を覆うように肥大していたのもあって多少の取り残しがあるけれど

手術は無事成功と聞きました。

 

 

とてもホっとしました。

 

 

その後は概ね順調で、料理の味が分からなかったり、検査の毎日だったり、耳鼻科の検診が痛すぎて泣いたり、粘膜を削ったことにより簡単に鼻血が出るようになったり。

手術してくださった病院では第一目標が手術であった為糖尿病の件は一旦置いておいて

食事制限等、制限の類は全く無かったこともあり毎日ローソンに入り浸り...

甘味・辛味のみ、ぼんやり分かったので甘いもの・辛いものを買い込んでは一日で平らげる

そんな生活を送り退院時には相当太ってしまいました。

 

大抵の人は手術をすれば徐々に数値は落ちていくと聞かされていたので

闘病生活はこれで終わりなんだなと思っていました。

ですが毎月の定期健診で殆ど数値が落ちておらず、未だ正常値とは程遠いような数値が続いてる状況に。

そこから毎月一度の診察+臀部への皮下注射を続けることになります。

 

1年以上2年未満、落ちない数値、何種類かある同じような薬その副作用の下痢に苦しみながら

もしかしたら治らないのかもしれない、一生治らない薬を打ち続けるのかと。

新たな不安の種を抱え、もしかしたら取り残した腫瘍があるのかもしれないとMRIを受けることに

正直な所、念押しの様にMRIを撮ったところでそれまでに何度もMRIを受けて異常な部分が見受けられないという事は私も主治医もわかっていた。

 

結果は異常は特にみられず、主治医も首を傾げていた。

腫瘍自体は削りカスの様な物しか見受けられず、この程度でそこまでの数値がでるのはおかしい

脳外科だからこれ以上わからない、私よりも専門的な内分泌科の先生のところに行って貰います。

正直思ったより楽観できる事態ではないということを実感した。

 

 

 

 

大体の人は手術で治る、その言葉に期待し過ぎていた。

 

 

 

期待すればするだけ大きくなるダメージを食らうのは自分であることを知っているはずだった。

もちろん主治医は適切な治療をしてくれて、それでも駄目だった。

主治医に落ち度はないのはわかってる。

 

ただ自分で上がるところまで上がって自分で落ちて行った...

それだけで希望は無いんだと、自分はどん底にいるんだと思い込んで行くようになった

 

内分泌科では成長ホルモンの吸収自体を抑制する薬しかもうないことを告げられ

毎日自己注射をすればこれ以上の進行はしなくなる薬を提案して頂き

自己注射の練習、副作用の肝機能障害が発症しないかのチェック、発症していた場合は自己注射を中止し肝機能障害の治療を目的とした入院生活が始まった、ただその入院生活もとてもくだらない理由により3日間で終わることになる。

 

入院初日注射の練習をし終わり、検査もない入院生活。

考える時間が長く、長すぎた。

完治させるためではない治療を続ける事の意味とは何なのだろうか?

寿命が縮まる事はデメリットなのだろうか?

挙げればキリが無くなるほどにずっと考えていた。

 

 

退院のお話を先生とお話した時、私は胸の内のほんの一握りの本音を話しました。

自己注射を続けられる自信が無い、完治しない治療をこれから一生毎日続けられる自信が無いです。と

先生は、同じように糖尿病患者は子供だって毎日注射をこれからずっと続けていかなければならない、貴方の年齢でできないなんて言えない。 治る薬があるのに治療を受けないなんて私なら考えられない。と

 

至極全うな事を言っていると思います。

ですが、メンタルブレイクしかかっている私には逆効果でした。

 

何でしょう...感情論に感じてしまって...

 

私は私でしかないんです 

他人が頑張ってるんだからお前も頑張るしか選択肢はないんだぞと言われてるような気がして。

寿命や、癌のリスク 末端肥大等 目に見える物 大きな部分に重きを置いて私のメンタルには誰も気を止めてないような

そんな気がして...

 

最後の望みを自ら断ち 傍からみれば非常に愚かな選択をしています。

もしかしたら今後気が変わるかもしれません。

もしかしたら気が変わり治療を受けても、その時はもう既に手遅れかもしれません。

 

寿命が縮む事を受け入れているつもりですが、私の本来の寿命が50歳なら20~25年後 40歳なら10~15年後

生きていく中で突然死んでしまう事ももちろんあります。

交通事故のリスクもあります。

治療をしていても死んでしまいます。

癌のリスクも治療をしたからといって0になるわけでもありません。

 

時には頑張らない事を選んでもいいと思うんです

頑張らない事で自分を助けることもある

 

精神的に 肉体的に

 

一生懸命頑張っている人から見ればそれはおかしく愚かな選択に見えるでしょう

 

ですが私はそれでいいと思います。

 

これからも甘えて甘えて自分に甘くゆるく病気と向き合っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

下垂体線種は基本的に手術をすれば改善していく病気で

顔面の変形等兆しもたくさんあります。

再発もありうる病気ですが、きっと良くなると思います。

時には頑張らず、ご自身も大切にしてください。

 

私が頑張れない分、頑張っている人を尊敬しています。

一人でも多く下垂体線種が広まり、早期発見されることを、完治する事を願っております

 

 

 

拙い文章。 精神的に脆い点。見辛い部分ばかりだと思います。

そんな中、御覧頂きありがとうございました。