父方の祖父がここ数年で、脳梗塞を患うだけでなく癌の手術を数回を受けており、数日前に肺炎も加わったため、そう長くないと聞いた。


最悪の場合、あと数日。今日かもしれないし、明日かもしれない。日に日に別人のように、痩せ細る祖父を見て、何て声をかければいいのか、どうしたらいいのか、なんともいえない感情に襲われた。


幸運なことに、父方、母方の祖父母は全員健在で、自分は4歳の時に曾祖母を亡くしたことしかない。


自分を大変可愛がってくれたこともあり、当時の寂しさとかなしさは今でもはっきり覚えていることもあり、今回、祖父が亡くなると考えると受け入れられるのか不安が募る。


連れにこれを話すと、


死ぬことってそんなにかなしいことなのかな。

そりゃ、若くしてまだやりたいこともたくさんあって死ぬのは悔しいよ。だけど、人生を生き切った人が亡くなるのは、本当にかなしいことなのかな。


確かに、面と向かって話すことはできなくなるけど、私の亡くなった祖父は、今でも私の近くにいる気がするし、こっちから見られないだけで、祖父は見守ってくれてるって感じるよ。


そう考えると、少し心が落ち着いた。


祖父は、年末年始には、比較的元気そうだったため、急な変化に戸惑いを隠せない。現実が自分を置き去りにしていくような感覚に陥る。


今になって、幼い頃に一面菜の花に囲まれた土手の近くの公園で、サッカーボールを蹴り合っていた祖父の姿や、近くのデパートに買い物に行ったときの会話や景色が鮮明に浮かんでくる。


当たり前が当たり前じゃなくなる時に、当たり前の大切さに気付かされる。


今、自分が毎日、何事もなく、朝起きて、顔を洗い、ご飯を食べたり、人と話したり、勉強したり、運動したり、笑ったり、泣いたりできることが

いかに尊いことなのか再認識する機会でもある。


どんな形になろうと自分にとってすんごくカッコよくて、尊敬に値するおじいちゃんであることに変わりはないので、それをしっかりと胸に刻んで、現実と向き合おうと思う。