ワシントンとベッツィ・ロス

 1776年の春のある日、アメリカが独立を宣言する少し前に、ジョージ・ワシントンはフィラデルフィアの女性裁縫師ベッツィ・ロスを訪ね、そして、彼女に新しい国旗を作ってくれるように頼んだという。

 今まで、植民地住民たちは英国のセント・ジョージとセント・アンドリューの二つの十字架を組み合わせたユニオン・ジャックに基づいた変形の旗を使って来た。その二つとも、国王への忠誠を想像させた。

 それゆえ、明らかに何か他のものが必要とされていた。ワシントンはすでに何度も彼女の店を訪れ、そして、ワイシャツのひだ飾りを刺繍してもらっていたが、ワシントンとロスは新しい旗を作るということには不慣れな人たちだった。

 それでも、ワシントンは13の赤と白のストライプ、さらに、青地に白の13の星を無作為にばらまいた旗のデザインを提案した。そのとき、ロスはおそらく星をばらばらではなく、ある形に配置したデザインを5~6個の提案をしたのだろう。その後、彼女は布とはさみを取り出し、旗を作り出した。しかも、たった一度で作られたわけではなかったかもしれない。

 一般大衆はベッツィ・ロスが最初のアメリカン・フラッグのデザインを考案しなかったことを知っている。それでも、その話はロスの孫ウィリアム・J・キャンディに引き継がれた。彼は子供のころに、その話を聞いたことを思い出し、1870年に、フィラデルフィア歴史協会に伝えたのだ。

 しかし、いくつかの事実がキャンディは間違って覚えていたことを示していた。例えば、ベッツィ・ロスの名前は1776年の国会の記録に存在していないことである。

 それに反して、国会議員で独立宣に署名したフランシス・ホプキンスは国旗のデザインのクレジットを主張している。さらに、ホプキンスが国旗のデザインを提案したという主張は彼がそのデザインを海軍省に送ったという国会の記録で証明されている。

 国旗の起源についての事実は決してわからないかもしれないが、ロスが国旗の成立に寄与したことは明らかで、彼女が1777年に、ペンシルバニア海軍のために旗を作ったという記録も残っている。

 そして、最初の国旗のデザインは1777年6月14日に、大陸会議で採用されている。