扇谷山海蔵寺:臨済宗

 亀ケ谷坂から戻って、岩船地蔵堂の角を右に曲がり、横須賀線のガードをくぐる。この辺りの谷は、昔、関東十刹に数えられた法泉寺という寺があった所で、法泉寺ケ谷(ほうせんじがやつ)と呼ばれている。

 ガードをくぐってすぐの十字路を真っすぐ300mほど行くと、扇谷山(せんこくさん)という山号の臨済宗の海蔵寺がある。もとは真言宗の寺であったが、建長五年(1253)、鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王の命により、藤原仲能がここに七堂伽藍を再建したという。

 しかし、元弘三年(1333)の鎌倉幕府滅亡のときに焼失し、その後、応永元年(1394)、鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が源翁禅師(心昭空外)を開山に招いて再建した。それからは扇ヶ谷上杉氏の保護を受けて栄え、天正五年(1577)に建長寺に属して、現在に至っている。

 山門をくぐって境内に入ると、右側に鐘楼と庫裏、正面に本堂、そして、左側に薬師堂(仏殿)が見える。本堂は龍護殿とも呼ばれ、関東大震災で倒壊した後、大正四年(1925)に、再建された。

 本堂には、中央に、開山の心昭空外坐像、その前には、銅造の釈迦如来像、右には厨子に入った十一面観音菩薩像などが祀られ、堂内の襖には、龍や牡丹、唐獅子などが描かれている。

 薬師堂は安永五年(1776)に浄智寺から移されたもので、中央に薬師三尊像が祀られ、その後ろには、十二神将が左右に六体ずつ配置され、薬師如来を守っている。この薬師如来は啼薬師とか児護薬師とも呼ばれ、お腹の中に土中から発掘された木造の古い仏の顔が納められているという。

 本堂の左側奥の崖には、やぐらが4つあり、手前から三つ目の大きなやぐらの中に立っている朱塗りの鳥居をくぐると、奥の一段高くなっている所に石像があり、それは翁に蛇がとぐろを巻いているように彫られた宇賀神と弁財天が一体となった宇賀福弁財天である。もとはここに宇賀福弁財天を祀ってあったが、現在は本堂に安置されている。

 薬師堂の脇の細い道を50mほど行くと、右側の崖下に家の形に掘られたやぐらがあり、その中には、弘法大師が掘ったという「十六ノ井」がある。このやぐらの正面の壁には、中央に石造の観音菩薩像を祀り、その前には弘法大師像が置かれている。