新型コロナの問題が起こって1年近くが経ちます。

僕の知っている人の中には

コロナの流行は陰謀だと言って

マスクすることを頑なに拒絶している人がいます。

インフルエンザでも毎年たくさんの人が亡くなるので

本当はここまで自粛する必要はないはずだという人もいます。

 

もしかしたらそういうところもあるのかもしれません。

でも、少なくとも僕の知っているところの、そういう考えを持っている人は

けっして医療の現場に立って現実を見ている人ではありません。

直接見た現実からそのように考えているわけではなく

主にネットの情報を見て理論的に考えているだけです。

いずれにしても、僕の立場では、真理の問題というよりは「何を信じるか」ということでしかないので

判断はしません。

 

ただ、いずれにしてもぜったいに間違いないと思うことは

「他者への思いやり」がより大切な状況であるということだと思います。

 

その意味で、僕は感染対策を心がけています。

マスクをして(特に発話する時には)、基本的な手の消毒をすることは面倒なことかもしれません。

でも、それを行うことで僕自身が何か大きなダメージを受けたり、損害を被るわけではありません。

逆に、もし僕がマスクもせずに話をすれば

不安を感じている人に、わざわざさらに大きな不安や恐怖、苛立ちなどを感じさせることになります。

それはその人のカラダの健康に影響します。

少なくとも僕自身が感染してひどい目に合うリスクは減らすことができます。

なので、何も損することはありません。

ひとつあるとすれば、後々になって陰謀説が本当だったとわかった時にちょっと悔しい思いをすることです。

 

見知らぬ人に対してはどうしても身構えてしまうのは仕方がないことです。

僕などは特に気が小さいのでそうなりがちです。

そしてこの状況の中では、よりそうした思いをいだきがちです。

普段なら、そういう見知らぬ人に対しての敵対心を意識することなく済ましてしまうでしょう。

今、それが強く働くということは、よりその敵対心を意識しやくなっているとも言えます。

だから、普段無意識に持っているこの敵対心について、ワークする(取り組む)チャンスでもあります。

新型コロナに対して、それが自然からのものであれ、陰謀によるものであれ

それに対して単なる被害者意識を持つところから、

これを機に他者に対する思いやりを意識して育もうとするなら、

それは世界をより良いものにすることにつながるような気がします。

 

いろいろな不安が渦巻き、空気がピリピリしていればいるほど

エッシェンシャルワーカーの人たちのちょっとした温かい言葉がどれだけありがたいものか感じます。

パンデミックにしても、自然災害にしても、危機の場でこそ

他者への思いやり、人間的な温かさこそが、問われているように思えます。

「・・・軍事同盟、力の均衡、国際連盟-すべてが次々に失敗に帰した。・・・残されているのは、最後の機会だ。・・・・課題は根本的に聖書に近づくことであり、霊の再燃や人間の特質の向上が含まれるが、これは科学のほとんど比類のない進歩と軌を一にするだろう。・・・・・」

これは、1945年9月2日、マッカーサーが戦艦ミズーリ-号の船上で行った演説の一部だそうです。

 

これは歴史や政治の本でもなんでもなく、今から50年以上前に出版された、「Talks with Grate Composers(偉大な作曲家との対話)」(邦訳本では、「我、汝になすべきことを教えん 作曲家が霊感を得るとき」)の「はじめに」で著者のアーサー・アーベルが引用しているものです。

 

この本は、1900年の直前に音楽ジャーナリストのアーベルが作曲がいかなる精神的プロセスの中で行われるのかについて、今ではすっかり歴史的作曲家となったブラームスやリヒャルトシュトラウスなどへのインタビューがまとめられたものです。出版されたのは50年後の1955年。それはブラームスの自分の死後50年間はぜったいに出版するなという要求を守ったからです。

歴史的な音楽家の作曲が、いかに人間を超える神的なところからのインスピレーションによってなされてきたかという証言の数々は、それ自体がとても興味深いものです。

 

でもここではそれは置いておいて

あのマッカーサーが最初に書いたようなことを言っていたのだということが僕には目からウロコでした。

いうなれば、人間の一人一人が精神的にめざめること以外、戦略的なことでは世界はどうにもならないところまで来ている。

それを戦勝国の司令官が悟っていたということです。

ちなみに、あえて言っておくと、この中で、聖書と言う言葉が出てきますが、マッカーサー自身にとって、霊的な生活を象徴するものがたまたま聖書であって、決して異教に対してキリスト教を布教すべきという意味ではないことは文脈からは明らかだと思います。

 

日本の憲法は、占領国から押し付けられたものに過ぎないという意見もありますが

マッカーサーという人間を通して、神様が地球のすべての人のために与えてくれたメッセージではないかと思えてしかたありません。

 

その後の世界の現状は、どこに向かって、さらにどこに向かっているのかをちょっと見れば

マッカーサーの気づきとはまったく反対の方向に行っているのは明白です。

日本国憲法はけっして古いのではないと思います。

むしろ人類の未来です。

 

ブラームスは、人間の頭だけで作った音楽は一時的にどんなに流行しても何年か経てば消えていく、そして、ベートーベンやバッハやモーツアルトなど、神的な領域から人類への贈りものとして生まれた(もちろん赤ちゃんと同じで産みの苦しみを通してですが)ものは歴史の中に永遠に残っていく。そう言っていました。

そしてブラームスが当時の作曲家について予言したことはその後の歴史が証明しています(当時売れっ子だった作曲家でもすっかり忘れ去れています)

 

日本国憲法が神様からの贈りものであるなら、たとえ思いあがった人の知恵でそれを歪めたとしても、歴史の中で、その精神は残っていくに違いないと信じたいです。

どんなに歴史に名前や自分の爪あとを残したいと思っても、それが神様から来るものでなければ、何十年か後には塵となるしかないと思うのです。

 

究極の謙虚さからしか真実は創造されないのだと思います。

 

 

自宅から歩いて10分ほどの森の中にオオタカの巣があります。

今年生まれたと思われる若様がいました。

15メートルくらいの高さに巣があるので何羽いるのかわかりませんが、2羽は確認しました。

もう少しすると巣立ちをしていくのでしょう。

落ち着くところを求めて一年のうちに数100kmも飛んでいくことがあるのだとか。

これからが試練の時でしょうが、がんばって生き抜いて欲しいですね。

 

こちらは最近わりとよく見るようになったカワセミさん(メスのようです)ほんとうに宝石のようです。

わかりにくいけどコゲラ

写真は撮れなかったですけど、キビタキもいつも場所にいました。

巣立ちの時期のようで、ヤマガラやエナガ、シジュウカラの幼鳥もたくさんいました。

これがみんな自宅から歩いて10分以内のところ。

カワセミのいる川では今年はけっこうホタルが飛びました。

みんなタダです!

僕にとってこんな幸せなことはありません。

 

ちなみに、カメラは好きでは無かったんですけど

それは使い方を覚えるのが面倒だし

鳥や花を見ることそのものより写真を撮ることに気をとられてしまうような気がしてるからです。

でも、つい生まれて初めて自分のデジカメを買ってしまいました。

この前の今にも降り出しそうなちょっと光の暗い日曜日のデビューでした。