こんばんは。



タイトルの通りです。昼間は暑い時もありますがやっと涼しくなってきましたね。




僕は田園風景が見える場所で仕事をしているけど、風が本当に気持ちがいい。





都会にいる人は、この最高の秋風を味わうことが出来るのだろうか。






最近、何もかも順調です。




仕事も必要な作業を家族や従業員にしてもらいながら、僕は将来仕事が楽でのんびりできるように、さらに言えばもっとお金稼ぎできるように設備強化の作業を一人でやってる。



本当は先代が生きてるときにしたかったけど出来なかった。先代が馬鹿だったから。これ本当なんです。




プライベートもぼちぼちかな。悪くはない。



仕事もプライベートも、僕は他人から必要とされてる。良い人ばかり。




一見さんや新規の人は求めてない。




今年は悪い人とは距離を置いた。




近所でもあるし同業者だった。けどずっと知り合いだったけどお互い付かず離れずのいい関係だった人とも親しくなってウィン・ウィンの関係を築けてる。




仕事も楽に改良してるけど、既にその方向にかなり出来た。





もっともっといい人生になるように、今年はいっぱい種を蒔いてる。




それらの目が、最近芽が出てきてる。早いものでは茎になり大きく育った。




この間のブログの記事にも書いたかもしれないけど、今の僕に必要なものは人、特に女を見る目らしい。




それは以前から言われてた。




最初から変な人がいるのは仕方がないしそれは簡単に避けることが出来る。




でも、残念なことに巧妙に本性が隠されていて付き合ってから最低な性格をしていたり頭がおかしい女性がいる場合、結構多い。




好きになった人でその場合、結構ショック。やっぱり好きになって付き合いたい。



付き合ったり結婚相手として条件が良かったけど好きにならずに何人も振って、僕は感情のままに好きだった人と付き合ったけど全く良くなかった。こういうところが見る目がないのだろう。



条件が良かったら付き合っていくべきな気もしてきた。好きじゃなくても段々好きになる場合もある、、、、のかな?僕はその経験はないけどそう願いたい。




そう考えると2月のパーティで知り合ったあの子は良かったなあと思う。

(以前のブログにも書きました。遠すぎたし、他に本当に好きな人が居たから振っちゃった。)




もっと見る目を養いたい。誰でもいいわけじゃない。














こんばんは。



9月のある日の朝、父方の祖父が亡くなった



と母親から連絡がありました。


99歳でした。





僕が祖父と最後に会ったのは15年くらい前。



祖父はその頃から認知症が出てきて、 

 
僕は久しぶりに会ったのに祖父から思い遣りの欠けた言葉を言われたり、意思疎通が難しくなっていたので、



それから僕は会わなかった。



祖父の言葉遣いを僕が是正を促しても、無駄だと思う。



ましてや昭和の元軍人。歳下に言われるのは腹が立つことだろうし、



ましてや認知症。暖簾に腕押し、糠に釘だ。






僕が子どもの時


まだ祖父の頭がしっかりしてた頃は、もの静かで会話の流れを読んで


瞬時に要点をつかんで面白いことをボソボソと言って周囲を笑わせる、なかなか技量のある人だったと思う。


軍学校に行っていた(卒業していた?)祖父は、


日中戦争で祖父の部隊が全滅したけど、祖父だけが唯一の生き残りだった。


運や体力が相当ある人だと思う。


それから当時としては遅い方だけど戦後しばらく経ってから祖母と結婚して、祖母は僕の父を生んだ。




軍国の教育を受け、元軍人で今で言う数々のトラウマ級の物を見てきて何度も生命の危機に晒されて過酷な中国戦線で生き抜いてきた祖父は、
僕の父に頻繁に折檻をしたり、大変厳しい教育をしたらしい。まぁ今では体罰は大事になる話だけどその時代はそれが普通だったと思う。
とにかく父は長男だったしかなり厳しく育てられたみたい。父の兄弟の末っ子はかなり可愛がられたらしいけどw






父方は紀州藩士の家系でなかなかの名家だった。



羽柴秀吉の紀州攻めで自分の殿様の城を落とされたが、地侍で顔が利いたので再度取り立てられてそのまま昭和まで来た。



でも道楽好きの、曽祖父が散財してしまった。



その時に先祖代々受け継がれてきたり歴史的価値のある家宝も売ってしまった。



そんな状況を建て直して、今の豪邸を建てたのが僕の祖父だった。


当時でも高かったもので、今では超高額になっていたり法的に手に入らない木材やその他材料を使われた家を、建てた。


その話は祖父の近所の人や親類から聞く程度で、僕が物心ついたときにはたぶん引退していたと思う。



祖父はいつも掘り炬燵に入って座っていたり涅槃像のポーズで横になったりふかふかのソファでくつろぎながらテレビを観ていた印象。




特に可愛がってもらった覚えはないけど、



お年玉をいっぱいくれたり、お正月やお盆はいつも良い材料・お肉を用意してすき焼きをしてくれた。



車で1時間以上掛けて、僕達三兄弟の運動会を観に来てくれた。


いっぱい写真撮ってくれた。




中1になったばかりの僕だけを車に乗せて、二人でドライブしたこともあった。



このようにブログに書いていくと、



これまで自分が思っていたよりも、良い祖父だったと思う。



ここ数年祖父は老人ホームで預けられていて、



誰とも意思疎通が出来なくて、身内が来ても声をかけても反応がなかったらしい。



(従姉妹が祖父の様子を動画で撮って送ってくれたのを見たけど本当によく分かっていない様子だった。

唯一、孫娘の声にはまだ、少し反応しているようにも見える。)



数年前から母親からそんな祖父の状況を聞いていた。



祖父と会ってもどうせ会話にならないが、



生きてるうちに一度会ってみても良かったかなと思う。



もう亡くなってしまったけど。







子どもの時に当たり前のようにいた人々が、



段々減っていく。居なくなっていく。




永遠なんてありえないけど、



皆が大きな掘り炬燵の周りを囲ってすき焼きを食べる、


そんな年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休み等々
長期休暇が一生続くと小学生の頃は思ってた。





世代が代わって、やっと良いように変われる事もいっぱいある。




僕はずっとこの年齢のままで仕事を頑張りまくりたいし追究したいし、夢を追い求めたいし、死にたくないし
子孫を持ちたい。



最高の人生にして、次の世代にバトンタッチしたい。



たまに落ちこんだ時に、本気で死にたい気持ちになる時もあるけど、ずっとじゃない。やっぱり僕は芯が強く生きてる。








なんか最近、旅行や買い物とかそういう記事を書かずに真面目、重めが続いてる。


皆に見てもらいやすいように書くべきだと思うし、



でも自分の書きたいことをきちんと書けるブログにしたい。




諸事情でこのブログを消して新しくやり直そうかとも考えたけど、



一応昔のピグ友や記事で知り合って今でも読んでくれてたり繋がってる人も多くいるので迷ったけど残すことにしました。





あと家のプチリフォーム、やっと第一段が終わりました。



ドアも直したし外壁塗装も終わった。





僕も、家も、職場も、人も、車も、



今年は失ったり壊れた物が多いけど、



生まれ変わるのが、楽しみ。



別れがあるから出会いがあるよ。その新たな出会いも楽しみ。


 
特に愛車とお別れして辛かったけど、



今の車に乗り換えて大満足だし、
 


新しい人やモノとの出会いってこういうものだと思う。




車を乗り換えてから流れが大きく変わった気がする。




すごく高かったけど、貯金かなりしてたので楽勝です。




新しい出会いに感謝。





最近夢に同じ人が出てくる。



昔からの古い友達。



もう付き合いはないんだけどね。



現実ではあり得ない優しい言葉を夢の中では掛けてくれるんだけど、起きてからすごく戸惑う。





僕が好きな偉人に南方熊楠という粘菌学者で知の巨人が昔居たんだけどその人は中国で辛亥革命を起こした孫文とも親友だった。



孫文はロンドンに亡命中、熊楠は大英博物館に通い詰めて勉強しまくっていた。


「西洋の学問」に負けない「東洋の学問」の確立を目指した熊楠。


一方、西洋の先進文明に学んで、中国の近代化を図ろうとする孫文。


この時、同年代の二人は、互いの祖国の将来や夢を熱く語りあったことであろう。



孫文がわざわざ熊楠に会うために和歌山に来たこともあった。





でも孫文とは関係が切れてしまった。特に喧嘩をしたわけでも無いみたいだけど。


周囲の人が熊楠に孫文と切れてしまった関係を問うたとき熊楠は、








「人付き合いにも、季節はある」









と答えたという逸話。




出会ったときは蕾がほころぶ春、楽しい時は夏かな。



秋で成熟して、冬に散ってしまう。





きっと他人との関係はすべてそういうものだろう。




僕は別れや疎遠になるのはすごく悲しいしその悲しみは長く続く。その時はその悲しみが一生続く気もする。



けど、その悲しさはいつの間にか忘れてる。それを越えてさらに、その人の存在自体も忘れてる。



ほとんどの人のことは忘れるけど、



唯一覚えてるのは初めて付き合った彼女のこと。



2005年10月2日にコンビニの前でたまたま出会って10月13日に付き合って、2006年2月13日の夜に別れた。



今でも思い出すけど、本当にいい子だった。






あれ、今日のタイトルなんだったっけ。


 


祖父、祖父、、、



2020年に父方の祖母が、2022年に母方の祖父が、2024年に父方の祖父が…



4人ともずっと、皆元気だったのに、



最近2年毎に亡くなってる。



唯一生き残ってるのは母方の祖母だけになった。





僕はまだまだ生きるぞ。











 

 

 

 

 

 

このPV好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近のブログ、恋愛のことばかり書いていると思います。

 

 

でも今回も書きます、思ったことを。

 

 

僕は『男』なのに、こういう記事ばかりを書くのは、読んでくれている方々の中には、

 

女々しいように感じられて受け入れられない人もいると思います。

 

 

でも書きます。

 

 

それでは書いていきます。


 

 

赤裸々に描きます。

 

 


わざわざここに描く内容ではないけど、自分の気持ちを整理したいから書いてみます。



 

 

承知の通り、


・僕はここ数年婚活をしていて、最悪でどうしても別れてくれない人と結婚してでもすぐに離婚して、


でも長年ずっと秘めた恋心を抱く人がいて、

また別に、婚活もしていました。

 


長年恋心を抱いていた人は友達の頃は趣味は合ったと思うけど振り向いてくれなかった。

環境も違うし別に友達でも楽しかったので、そのままでいいと思った。けど、

 


その人を超えるくらい新しくて素晴らしい人と出会って憧れの人に対する気持ちを吹っ切って再婚したい、って考えてた。

 

 

 

 

憧れの人と仲良くなり始めた今年の2月頃、地元の自治体主催の婚活イベントが大阪市のホテルであった。

 

 

 

男20:女20 とかそれくらいだった。

 

 

一応男女共に僕の地元で将来住める人、というような条件で出ていたと思う。

 

 

その時に一番いいと思う女性と連絡を交換することになった。

 

 



その人のスペックは、

 




 

30歳 兵庫県在住 県の職員。


歴史とスノボが好きで僕と趣味も合う。


その他、いつも笑顔で声も表情も可愛い。



慎ましく、穏やかだけど芯がある。

 



 

相手から最初、僕にLINEしてくれた。

 

デートも積極的に誘ってくれて実際に会ったけど落ち着いた常識がある大人の女性という印象。

 

会った後も次また会いたいといつもLINEをしてくれた。

 

 

僕には本命がいてデートをしてたしそれが一番楽しかったけど、本命と付き合うかどうか分からなかったから

兵庫県の子は、そんなにいい子なのに、申し訳ないけど、ダメだった時の保険、


というような感じで、


付き合うまではしなかったけどキープをしてた。

 

 

 

まあいろいろあって4月上旬、本命ともうまくいかず、その兵庫県の女の子の気持ちはたしかに僕に向いていたけど、デート中の僕はどこか上の空でした。

 

 

そして何よりも、



その子の住んでいるところは兵庫県でもほぼ中部・というか北部の朝来市。


有名な竹田城があるところ。

 

 

僕の家から高速道路で3時間。めちゃくちゃ遠いのがこの子との交際の一番のネックでした。



以前の結婚では元妻が大問題を抱えていて、家族までも良くなかった。


なので、僕は真剣交際においてどうしても交際相手のご家庭に行き、恋人の家族がどういう感じの人なのか、何度も通ってこの目で見ておきたかった。

 


 

それで3時間は遠すぎると思って躊躇してしまった。

 

 

 


でも今、振り返って思う。

 

 

 

その女の子は親戚が僕の地元の男性と結婚してこちらに住んでいるし、


和歌山に住む僕と一緒に、農業をすることも真面目に考えてくれていた。



語る彼女は、物静かで優しい笑顔だった。

 


 

その女の子的には僕との交際において3時間の距離は関係なかった。


実際いつも会う時は大阪市内で、僕が1時間ちょっと、彼女が2時間かけて会っていた。

 

 

 

 でも僕は本命が一番好きだったし、一番一緒にいて癒されたし一番楽しかった。



だからその女の子とは僕から切る形で終わらせた。

 

 

 

そして本命とももう終わった。

 

(言っておきますが、今は本命には一切未練はないです。友達までの関係でいて、付き合わなければ良かったと思ってる)

 

 

 

 


もし僕が、本命だった人と過去、アメーバピグで出会わずに、その兵庫県朝来市の人と同じように知り合っていたら、


命はどうなっていただろう。

 

 

あるいは朝来市の人と先に出会って、本命とは後で出会っていたら、、、


朝来市の人と付き合っていたと思う。

 

 

 

 

そして穏やかな交際が出来ていたかもしれない。


一緒に農業をして、子育てして、笑い合って生活していたかもしれない。

 

 

まあ誰かと結婚したら離婚する選択をするかもしれないけど、また違った未来があった。

 

 

 

 

 

僕が何を言いたいか。

 

 

 

大人の恋はタイミングだと思う。

 

 

 

 

出会いのタイミングって本当に大切。

 

 

北海道のヒグマが川に産卵に昇ってくる鮭を狙って仕留めるようなのとまた違って、案外簡単にふとした瞬間に最高の人と出会うかもしれない。

 

 

 

結果論の話をすると遠かったけどあちらがきちんと僕と付き合う気のあった、あの人との出会いは最高だったのかもしれない。


あの人と付き合った時間軸・世界線の僕は幸せになっていてほしい。

 

 

タイムパラドックスを許さないタイムパトロールをしている連中がどうしてもその出会いを、この時間軸のように何らかの力を働かせて終わらせていたのかもしれないし、

 

 

 

僕がいつか出会う未来の大切な人と出会う為の乱数調整をしている可能性もある(これはさすがにムリゲーか。)