なんかさーSNS見てるとさ、「役立たずな自分に価値はない」と思ってる人がいかに多いことかと思うよ……
鬱になって働けない、消えたい
子供とうまく関われない、母親失格だ
病気になってしてもらうばかり、家族の時間と体力を奪うだけの自分が嫌になる……
そんな書き込みが多いし、直接的に書いてなくともその思想が透けて見える
解る。解るけど。
私でもそう思うだろうし。
でも私が同じ状況になったなら、35%くらいのパワーで言うかな(?)
私には「生物は息してるだけで価値がある!」という、若い頃に自分で選び取った強い強い強い信念がある
その土台があっても、人の世話になる立場になって(寝たきりとか)、しかも回復の目処が立たないとなれば自信を失って弱々しいことしか言えないかもな…とは思う
でも渦中の彼らは100%の気持ちで「使えない私はダメ人間!」と叫んでるように見えるの
幼い頃に刷り込まれた「働かざるもの食うべからず!」「権利を主張する前に義務を果たせ!」「ルールとマナーを守らないならどうなっても文句は言えない!」「人のせいにするな!自己責任!!!」という厳しい掟を価値観の土台としているように見える。
そんなもん、根拠のない謎ルールに過ぎないというのにさ(安丸良夫が「通俗道徳」と名付けたやつだと思う)
これを当然の考え方だと刷り込まれていると、自分が働けなくなった時、存在価値が揺らいで激しく弱る
人間なんて年取ったらみんな大体役立たずなのにね
どんどん「使えなく」なる
その時に備えて、価値観を変えておいた方がいいよ
なんでこんなに、人間を機能で測り、測られるような社会になったんだろう?
産む機能、稼ぐ機能、頑丈で滅多なことでは休まない機能、美しさで場に花を添える機能……
高機能高性能なら価値があるってそれ、家電に対する考え方じゃん
人は家電じゃない
だから「使える使えない」で評価しちゃいけないし、「劣化」とか言っちゃダメだし、便利グッズのように「利用」するなんてもってのほか
でもそれらを言ったりやったりする人は多い
それだもん、生きているだけで素晴らしい、命の輝きは美しいなんてことを感じている人、すごく少ないのでは
でもみんな日本社会の雰囲気に呑まれてそう考えてるだけで、冷静に順を追って考えてみれば、存在してるだけで価値があることに同意してもらえる気もする
昔、バイト先のカレンダーが障害持つ人の書いた書作品だった
作者は事故で頸椎を損傷した人で、筆を口に咥えて字を書き、書家として活動し、書や本やカレンダーを販売している
首から下が動かせない人が文字を書き、気持ちを伝え、お金を稼ぐ。偉業だ
でも仮にその彼の状態が悪化して、その活動をできなくなったら、彼の存在価値は落ちるか?
落ちない。稼ぐ機能は落ちるけど、存在価値は揺らがない。そう思いません?
それまでの彼の努力とその成果は消えない
たとえそれがなく、生まれた時から意識がなくただ横たわるだけだったとしても、存在価値はある
だって彼の家族は彼に存在してて欲しいんだから
愛してくれる家族がいなくとも病院にいれば雇用を生み出すことに貢献し、電気やおむつなど様々な消費をすることで経済活動に参加してる
呼吸するだけで植物に二酸化炭素を供給していて、他者や地球に影響を与えてる
それに単純に考えて、植物状態の人に対して「あなたに存在価値はない」と言えないし思えないよね
色んな事情で人工呼吸器を外さなければいけないことはあるだろうけど、その理由は「存在価値がないから」ではない
そんなふうに考えるのは相模原の津久井やまゆり園で大勢を殺した植松くらいだから
他者に対してそう思うなら、自分に対してだってそう思えるはずなんだよ
ちょっと働けないくらいで存在価値とか言い出すの変。気の迷い。
積極的にそう思っていかなければならない
傲慢だとか、ムシのいい話だとか、意味のわからん自己批判をしてはいけない
「世間様」はあまり賢い集団ではないし、全体主義的だから個人の生きやすさに関心がない
雰囲気に流されてはダメだ
自分で自分を守らないと