― 美しい現場に、美しいロジックを組もうとしない人たちへ ―
「嘘が通用しない世界」に、私は惚れ込んだ
飲食業は、不思議な業界だ。
出す。食べてもらう。不味ければ二度と来ない。
それだけだ。
演出も、誇張も、営業トークも通じない。
つまり、飲食業とは「体験そのもの」がすべてを語る世界だ。
私はこの“嘘のつけない潔さ”に、心を惹かれた。
嘘で売る仕事に、ずっと罪悪感があった
昔、父のアパレルを手伝っていた頃。
似合わない服を「お似合いですよ」と言えなかった。
それは、自分が嘘をついて“人を陥れてまで”利益を出すことができなかったからだ。
その後も営業職などを転々としたが、
“相手を鴨にする”ような仕事のやり方に、どうしても馴染めなかった。
だからこそ、飲食という「誠実しか通じない現場」に戻ってきた
飲食は、“誠実でしかいられない世界”だ。
食材、調理、接客、空間。そのすべてが“ごまかし”を許さない。
それは、働く人間にとっても、お客様にとっても、唯一無二の尊い空間だった。
それなのに──
私は、飲食業界の経営者たちの姿勢に、どうしても納得がいかない。
なぜ、成長の機会を意図的に奪うのか?
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湯煎で済むメニュー
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包丁すら使わない厨房
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目の前の数字だけを追う教育放棄
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アルバイトは“人”ではなく“稼働数”としか見ない思考
なぜ、美しい現場を選んでおきながら、美しいロジックを構築しないのか?
なぜ、人を育てることから逃げるのか?
飲食は“人を育てる産業”であるべきだ
飲食は、本来こういう場所だったはずだ。
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包丁を握ることで、“自分の手”に誇りを持てる場所
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お客様と接することで、“社会と繋がる実感”を得られる場所
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混雑やトラブルの中で、“自分の成長”を痛感できる場所
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働く人が「自分の人生を変えられる」と信じられる場所
それをわかっていながら、
「人件費が高いから」「教育はコスパが悪いから」
と理由をつけて、人を“消耗品”として扱う経営を私は許せない。
怒りの根っこにあるのは、「愛」だ
私は飲食業が好きだ。
いや、“信じてる”と言ったほうが近い。
だからこそ、この業界の未来が「回すだけの工場」になっていくのを見たくない。
嘘が通用しない、誠実なこの現場が、誰かの人生を育てる場所であってほしい。
だから、私はRBRを始めた
RBR(レストラン・ビジネス・リフォーム)は、
飲食という現場を通じて、思考停止を打破し、
人が自立し、文化が続いていく社会構造を再設計する試みだ。
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人材の“自律化”
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組織の“思想化”
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社会との“再接続”
これらはすべて、私が飲食現場で感じた“怒り”と“愛”の裏返しだ。
飲食に夢を見たっていいじゃないか
もしあなたが、
「本当は自分も誠実に働きたい」と思っているなら──
「人の人生を変える店を持ちたい」と思っているなら──
それは間違ってない。
むしろ、飲食の原点に一番近い考え方かもしれない。
私は、その想いを裏切らない世界を、現場から作っていく。
がぶ飲み食堂も、RBRも、そのためにある。
💬 あなたはどう思いますか?
もし共感したら、ぜひコメントやメッセージをください。
これは、私だけの怒りじゃない。
きっと、誰かの“違和感”の代弁でもあるはずだから。
