
疑う事と道徳。
カンニングにAIは関係無い気が。元々、カンニングの疑いが濃厚やけど、エビデンスが取れなかった所を、AIみたいな、使ってる事が明らかで世の中で問題となってるものを出汁に、カンニング対策を行う事にした、という話やないんかしら。
道徳的に正しいから疑うべきで無いというのは、疑う事を暗に悪としてるけど、根拠無しに犯人と扱う事は悪でも、疑う事そのものは悪ではないし、不正出来ない様にシステムを構築するのは公平な場合も多い。
どちらかといえば、無用に疑った結果、サービスのメリットよりコストが勝ってしまうシステムとか、そういう本末転倒にならない事が重要。
今回の話、プリンストン大学の学生は、口で正論吐きながら不正に目をつむる、というレッテル貼られる恐れがある訳で、監督いればそんな事はなかったんでは。今回の件で、これまで築いたプリンストン大学のブランドは、結構損なわれたんやない。
疑う事と適度な対策をする事を授業にすると面白そうやな。
学生の自治って、外に向けて雄弁やけど、内に甘い。
先の話では、学生の自治会も一緒になって話し合ってたみたいやけど、この話の場合、大学新聞側が原告側の行いが適切か、という点で検証したんやろか、と思う。授業料値上げに抗議した事が停学のトリガーでなく、抗議の為、夜に立ち入り禁止の講堂に入ろう画策して、結果、怪我人を出したことやん。怪我させたのは自分じゃないとか、他人事なんもなんなの、と思う。こういう身内に甘かったり、身勝手な所が、学生の自治の評価を下げてると思う。