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好き勝手な記事です

IT機器累々 その4 の続き

怒涛のPC9800シリーズ

8801mkIIが出る前の1982/10最初のNEC PC-9801が発売されている。この無印9801は、漢字ROMなどでこの後のシリーズとちょっと違っているようだがこの後10年以上続く日本のパソコンの不動のNo1になる98シリーズの原点である。
会社の部品の発注管理は、NTTの大型計算機と結びついた端末で行っていたが、経理がなぜかの無印の9801と8インチのFDとプリンタを買ってマルチプランで経理の計算に買ってしまった。多少は計算機に詳しいのでちょっとした面倒を見てあげたので空いているときはこれを貸してもらえた。

自分としては、やたらFDDやらプリンタやらを付けると、オフコンまで高くは無いとしても、決して使いやすそうには見えないこの機種には興味が持てなかった。
16bit機なら、この変なアドレシングを使うi8086よりもずっとましに見えたMC68000を使うマシンで良いのが出ることを期待していた。

しかし、そんな思惑は完璧に外れて、ソフトの多さのためだろうか他の機種を圧倒するすることになり、自分も会社と家で何台もの9800シリーズを買いまくることになった。

次に、9800シリーズを中心とした表を作成する。この表には初期のFDDが無い機種を覗いて、5インチFDDを2台搭載して、ハードディスクの付いていない機種のみ載せてある。
自分の9800シリーズは、基本的に5インチFDDを2台内蔵で、ハードディスクは、拡張ボードで外付けが基本だったからである。(外付けのHDDの方が移行作業が楽)

資料は主にPC-9800シリーズ年表 による。
日付機種価格(千円)CPURAMFDD
1978/06/08i8086
1981最初のMS-DOS(PC-DOS)
1981/08/12IBM PC(model 5150)最初のIBM PC
1982i80286発表
1982/10PC-98012988086/5MHz128-
1983日本語ワードプロセッサ松
1983/10PC-9801F23988086/8MHz1282DD
1984/04/14IBM PC/AT 5170398最初のPC/AT機1282DD
1984/11PC-9801M24158086/8MHz256HDD(2DD不可)
1985i8038632bit
1985/02jX-WORD太郎
1985/05一太郎
1985/07PC-9801VF2345V30/8MHz2562DD
1985/07PC-9801VM2415V30/10MHz3842HD
1986Lotus 1-2-3
1986/01?MS-DOS3.21
1986/11PC-9801VM21390V30/10MHz6402HD
1986/11PC-9801VX243380286/8MHz6402HD
1986/12MS Windows1.0
1987excel
1987/04一太郎Ver.3
1987/07PC-9801VX2143380286/10MHz6402HD
1987/08?MS-DOS3.3
1987/10Excel 2.0
1987/12/09MS Windows2.0
1988/07PC-9801RA2498386DX/16MHz1.6MB2HD
1988/09PC-9801RX239880286/12MHz6402HD
1989i48632bit
1989/04一太郎Ver.4ジャストウィンドー
1990DOS/V(日本IBMのOS)ソフトによる日本語表示
1991/01PC-9801DA2448386DX/20MHz1.6MB2HD
1991/01/23MS Windows3.0英語版は1990/05/22
1993Pentium
1993/01PC-9801BA/M2342486DX2/40MHz1.6MB2HD
1993/05/12MS Windows3.1(NEC版)
1993/11PC-9801BA2/M2352486DX/66MHz3.6MB2HD
1995Pentium Pro
1995/01PC-9801BA3/U2/W198486DX/66MHz7.6BM2HD
1995/11/23MS Windows95英語版は1995/08/24
1996/08/24MS WindowsNT
1998PentumⅡ
1998/08/25MS Windows98
1999/05/05MS Windows98SE
2000/02/18MS Windows2000
2001/11/16MS WindowsXP
2006/07/27Core264bit
2008/05/26Pentium D64bit
2008/11/16Core i764bit
2009/09Core i564bit
2010/01Core i364bit
注意 NECの8086は、実際はNEC製の8086互換CPU=μPD8086で、V30は、NEC8086の上位互換CPUで高速な8086として使われた(機能も拡張されていたが、ソフトの互換性の都合などそれらは使われることはほとんどなかった)

思えば、長い間多くの日本人にとってパソコンの進化はNEC PC9800シリーズ=98(きゅうはち)の進化であっただろう。シェアがとてつもなく高かった。
98の特徴は、何といってもハードウェアで日本語を表示したことである。
海外ではIBM互換機が圧倒的なシェアを獲得しても、日本向けに日本語を表示するハードウェアと日本語の説明書がネックになって日本ではDOS/Vが出て日本語表示の問題が無くなるまで普及しなかった。
98のNECでの開発部署は、それまでの半導体とはことなりコンピュータの本家の情報機器グループである。
NECは系列の新日本電気で、ゲーム用のPC-6000シリーズと、TK-80,PC-8001,PC-8801と作って来た半導体デバイスグループの3グループが別々に開発するという乱立状態となり、半導体グループがPC-100というあまりにも先進的なパソコンを出して来て、98と真っ向からぶつかるようになると、NECはPC-100を捨てて情報機器グループのPC-9800シリーズに注力して。ぶつかり合いを避けた。

このあたりの事情などは、TK-80から98が活躍した時代については故富田倫生氏の「パソコン創世記」に詳しい。
この本は氏の考えから、著作権が消滅した文学作品、あるいは著作権者が許諾した作品を公開する「青空文庫」に収録されている。
●青空文庫 富田倫生「パソコン創世記」 このリンクから ダウンロード なり 今すぐ読む を選択
もしくは、 各パートごとに読むのなら、こちらの方が読みやすいかもしれない。
●@IT自分戦略研究所のパソコン創世記 各記事の上下の案内は後の章でなく前の省に飛ぶことに注意

PC-9801VX2198はCPUが大幅な機能拡張を行ったi80286(もっともその機能をすぐに充分に使ったわけでhないが)に変わったVXくらいがひとつの完成点とみなされるようである。実際はCPUの強化だけでなくメモリの追加などとともに性能があがり、メモリやハードディスク、OSのアップデートなどを行うことでも性能が向上する。振り返ってみれば会社で買ってもらったのを含めると5インチFDD搭載の機種でめぼしいのは、ほとんど買っている。


会社の経理が買った98は最初の無印9801は、バカでかい外付けの8インチフロッピーがグロテスクなほど場所を取って、たまに使わせてもらったが、とても食指が動くようなものではなった。

速度は確かに日立のレベル3等よりは速く漢字も表示できたが、漢字を入力するのが面倒なのでレベル3のカタカナとひらがなの方で充分である。

しかし、PC-9801F2で5インチFDDを内蔵した機種が出ると、途端にスマートに見えて来た。
会社で買ってもらって家でも買ってしまった。
ロータス1-2-3も一太郎もない時代に、何を目当てに買ったのかは、はっきり思い出せないが、多分高速のBasicマシンとして、数値計算をするという大義名分だったのだろう。
家ではもちろんゲームマシンとしても使ったはずであるが、会社でガンガン使っているふりをするには、会社だけではなく、家でも使い方を勉強しなければならなかったのだろう。
そのうち一太郎のひとつ前のバージョンであるjx-WORD太郎という評判の高いワープロを購入した。(経理は最初、松とかいうものだった)
それが思ってた以上に使い勝手がよく、結局一太郎シリーズはパソコンの追加もあるが、バージョンが上がるたび購入した。そのうちLotus1-2-3も使い始めるようになり、オフィス用途ではこの二つが日本の定番になった。
Windowsになってからは、少し前までCPUやメモリ、グラフィックボードなどを更新して使いやすさがどんどん向上したが(最近はそれほどでもない)、このときは最大メモリが640KBという今では信じられないくらい少ないメモリで動いていたが、80286が出てきたころには、このCPUの能力をフルに生かすというよりも、メモリの管理能力の隙間を突いてメモリを少しでも多く使おうとしていたように思う。

自分は数値計算も主な用途だったので、少しでも早いマシンを追い求めたので、普通の人よりは速いマシンが必要だった。
特に80286になって出てきた数値演算用プロセッサである80287の数値計算での威力は絶大であった。

98の開発は半導体グループでなく情報機器グループでは合ったが、ソフトや周辺機器の開発に力を入れたのは、同じで、新しいソフトもハードも出来るのが早かった。
プログラム言語や、データベース用のソフト、DTPというワープロに図表を入れるソフトなどたくさん買ったが、プログラミング言語以外では一太郎と(+花子)1-2-3以外はもうどういう用に使ったのかよく覚えていない。

ハードディスクで最初に買ったのはSASI(ザジ)という規格のでっかいコネクタで接続するもので10MB程度の容量であったと思う。
今時のSDでも売らないほどの小さな容量だが、その時は10万円を遥かに超える値段だったはずである。
しかし、HDDは速いだけでなく信頼性が5インチFDより遥かに高く(タバコの煙もうもうの部屋で使っても密閉されているので煙にも強い)あっという間に普及した。
インターフェースもSCSI(スカジー)というたくさんつなげられる規格のものが出て来て、しかも容量が大きくて困るなんてことは、つなぐことさえできればありえない。


さて98の天下太平の源であった日本語の表示のハードウェアではあるが、余分なコストがかかり、何よりDOS/Vの用に厳しい競争にさらされることも無かったので、それが仇になって、ソフトとグラフィックボードとWindowsで自由に日本語や図形を表示できるようになったPC/AT互換機に太刀打ちできずに負けてしまった。
PC-1000奇しくも、98を破った、この仕様は、NECが結果として葬り去ったNEC PC-100が目指していたものとよく似ている。

PC-100は、NECの半導体グループと、アスキー(兼、Microsoft副社長)の西和彦と、京セラが、目指していたパラアルト研究所に端を発する先端的で優れた設計のマシンとのことで、価格も高くNECの方針の変更で積極的に販売も改良もしなかったために成功しなかったパソコンとなったようである。出るには早すぎたのかもしれない。
もし、力を入れて作っていたら、PC/AT互換機がGUIの能力を何となく獲得してしまう前にMacintoshのように、ひょっとすると詐欺師のように頭の切れるスティーブンジョブズのものよりもまともなものが作れたかもしれないが、そんな空想を成功したかどうかは、推測するしかない。


98が今のパソコンのように情報用の用途に使われることは今では、ほとんどないだろうが、昔のソフトしか使わない(使えない)場合や工場の生産ラインで何かの制御用とか判定用に使われているものはいまだに残っているだろう。
特に制御用としては、98は普通の機種でも信頼性が高く、何よりもハードウェアの仕組みが明確で動作が明快なので制御用に好んで使われた。
専用の装置を作るよりも98と制御用のGP-IBボードや内蔵のセントロやRS-232C系の出力を使った方が簡単だし安い場合が多かったのである。
丈夫なのでその装置を作った人がとうに退職して誰も仕組みがわからなくても毎日元気に動いているものは結構多いのではないだろうか
本当に大事な場合はバックアップ用のセットを用意すれば良い。
プログラム自体のメンテナンスはBasicや機械語で作られているものも多いので、面倒なものが多い。機械語は意外と複雑なことをしていないのが多いが、昔のBasicは、複雑になりがちで、多分作った本人でさえもわけのわからないものになっているのが多い。

まず何をしているのかが明確ならば解析する作り直した方が楽な場合も多い。最近の100円くらいのマイコンでもかなりのことができる。数千円だせば各種インターフェース付きのCPUユニットが変えるのである。
もっともインターフェースの部分にお金がかかる場合が多いだろう。

とはいえ、まだまだPC-9801が元気に働いているのはうれしいことである。


unixワークステーション

ワープロや表計算ソフトの便利さが認識されだしてくると、メカ設計も数値計算ばかりでなく、設計自体にCADを使おうという話が出て来る。
ワープロのおかげで、なんて書いてあるか首をひねらずに済み、表計算ソフトのおかげで計算間違いのほとんどない計算書に感心するにのも慣れてくると、次はあの幼稚園児の御絵描きと同じくらいわかりにくい図面を何とかしたいと思うのは当然である。
計算機といっても本当に得意なのは限らた範囲の整数演算だけなので、今はともかく昔の計算機をCADとして使うには実数演算や、線や丸を自由に画面に表示する能力を何とかする必要があった。

そこで、図面の枚数が極端に多い航空産業などから、金に物を言わせて大型計算機に数値演算ユニットを組み合わせるなどして、管理させ、それと画像処理用に金をつぎ込んで能力をアップしたワークステーションと組み合わせて大勢で使えるCADのシステムが発展したようである。
もっとも部品のLCやIC化などでダウンサイジングが進み、そのうちワークステーションだけでもCADが回るようになるのは当然である。
ワークステーションといっても色々な意味合いで使われて、ただの端末程度のものでもワークステーションという場合があるようだが、ここでは昔のパソコンよりも高性能で、マルチタスクくとネットワークに対応したk数値計算やCADなどに向いた、昔にしてはちょっと能力の高い個人で使う計算機を指す。
エンジニアリングワークステーション=EWSなどともよく呼ばれた。
98の全盛の頃は、能力差は圧倒的であった。
ひとつには、使用しているパーツが違うということもあったが、大きな差はOSの差である。
98やIBM互換機は、ソフトの継承の必要性から、CPUなどの高性能な機能を使う上で大きな拘束があった。
98が出たころ1982年にはすでにプロテクトモードでマルチタスクが実行しやすいi80286が出ており、1985年には80386も発表されCPUの方は着々とマルチタスク化が可能なようになってきているのに、MS-DOSのOSが曲がりなりにもちゃんとしたマルチタスクになったのは、Windows NT、Windows2000という過去のソフトの互換性を切り捨てたOSを経てWindowsXpで、何とか過去のソフトも無理やり動くWindowsXpが発表されたのは21世紀になって2年も過ぎた2001年である。
マルチタスクで安定して動くためには、最近でこそ複数のCPUが協調して動くことも可能だが、基本的にはOSとしてシステムを管理するプロセスに必ず制御が戻って来なければならず、そうすればOS側でおかしな動作をしたソフトを止めることができる。ソフトなんて、絶対に正しく動くなんてことを期待できる場合の方が稀なくらいといっても言い過ぎでないくらいのものが一杯あるので、そうしないとパソコン自体がハングアップしてしまうのである。
また使用するメモリは、プロセスごとに使用する範囲を排他的にしておかないと、他のプロセスでデータをおかしくされてしまうことが起きる。
OSの安定のためには、こういことを破ってしまうソフトがひとつでもあれば、破たんするので、同時に複数のソフトが動くことを考えて作っていない、また高層化のために、ハードをOSを介してでなく直接操作するようなソフトも動くようにするのは大変なことである。
この点、unixは最初からこういったことが考慮されており、またソフトも機械語で作られるソフトが少なく、Cのソースで配れて各計算機でコンパイルしてつかうということもよく行われているくらいだったので、安定度や性能が良くて当然である。
残念ながらWordやExcelのような、優れたキラーソフトがなく、また量産効果で、性能も価格もPC/AT互換機を中心に進み、Windowsの安定性も上がったため、ワークステーションの活躍の場は狭まった。
もっとも、unix系のOS自体は、unixのごたごたが合った割には、色々なものが生き残っている。
Officeなどが動く必要がないサーバなどでは昔からunix系のソフトが多く今でも多く使われているようである。
もっともunixの影響を受けていないOSなどMmicrosoftもAppleもandoroidも含めてほとんどないだろう。
また正統なunix系のOSでもたくさんあり過ぎてOSは進化し続けるものなのでどれが本家なのか決めるのが難しいようでもある。

unixのワークステーションを使わなくなって、真っ先に困ったのはネットワークやファイルの管理である。
unixのサーバは管理がしやすく、特にX WindowsというWindows環境を使えば、自分の席からほとんど動かずにネットワーク上の計算機の管理が簡単に行える。
トラぶった計算機の措置も、バックアップも、共有の設定も楽に行えた。

Windowsでは出来ないことが多すぎると思っていたが、今回よくよく考えてみれば、ACLとかいうアクセスコントロールやリモートデスクトップなど豊富な機能を持っている。

それを使っていないだけなのかもしれないが、問題は、屋上に屋を重ねるよな冗長性を感じたり、なによりもオープンでないのでこういう機能を使おうとすると本当に大丈夫なのかという不安が付きまとう。
特にマイクロソフトのネットワーク関連のサービスは今まで痛い目に何度か合っているので信用できないのである。
もっとも、ファイルのアクセス管理に関しては調べてみるとコマンドも合って、バッチ処理(一連の処理を記述して自動化したりできる)も出来そうなので、どれか一台をサーバ専用にすれば、パーミッションがルートフォルダ単位でしかできないネットワークサーバーよりもましなものが出来そうである。
考えてみれば当然だと思うけれど。

初めてのDOS/V

さて、一気に今の話に飛んでしまったが、昔の、初めてDOS/Vを使い始めたころの話に戻そう。
そのころのマシンでは漢字を表示するのにマシンのパワーが必要で、日本では長らくハードウェアで持った文字の形を単純に読みだして表示させるメインのCPUに負担が掛からない方法で実用的な速度を得てきた。
そのために米国で圧倒的なシェアを得て価格競争で値段も下がっていたIBM互換機が日本に入りこむことができなかった。
しかし、IBMが1990年にCPUの力を借りてソフトウェアで漢字まで表示するOS=DOS/Vを発表し、IBMも積極的に情報をオープンにして他社が使うことを容認し、Micorosoftも翌年DOS/Vを取りいれた。
さらにWindowsなどの普及で文字のサイズも自由に変えられるのが当たり前になると、それまでのハードウェによる日本語表示も必要無くなった。GUI(Graphic User Interface)の時代の到来である。

このアイデアは、実はかなり前からあり、Appleでは、パソコンとしては、もっとも早めにとりいれて、ある程度成功し、日本でも野心的な試みとしてNEC PC-100で行われるなど、その重要性には注目する人々も結構いたのだが、現実的な解として花開いたのは、IBMの知名度とオープンアーキテクチャーのおかげで圧倒的な数がでて競争も大きかったPC/AT互換機の上であった。
IBM互換機は、古い仕様を引きずって、GUIが走るには、むずかしい環境であったが、IBMが新しいPC/ATの仕様をオープンにしたことから、パソコンの能力の向上が進み、ついには、IBMが互換機を切り捨てて別の仕様を発表しても、PC/AT互換機の市場を支配するまでのデファクトスタンダードになった。

漢字ROMも専用の表示装置を使わなくても漢字が自由に表示出来るだけでなく、いちいちソフトを終了させなくても複数のソフトを切り替えられる便利さから、最初のMS Windowsが全くもって不安定だったにも関わらず、人気は上がり、安定するとともにWindowsが当たり前のことになった。

それによって98の歴史的な使命も終了した。

日本だけで通用したパソコンでは、コストでも仕様的にも鍛えられたパソコンに立ちうつのは困難である。

PC/AT互換機は海外を探せばいくらでも手に入ったが、マニア以外が仕事で使おうとすると、仕事で使うソフトが動くことが必要である。
日本での初期のDOS/V=PC/AT互換機で有名なのは、富士通のFMVシリーズでFMV DESKPOWER(1994/10)であろう。
MS Windows3.1を搭載し、何でもかんでもてんこ盛りのCD-ROM+HDD+3.5’FDDドライブ付きの多彩なソフト付きのモデルである。

しかし、DOS/VはPC/AT互換機の日本語の表示に対応したOSをもともとは指していたのでその前に海外のDOS/Vマシンも細々と入ってきていたようだし、PC/AT互換機はパーツが標準化されているので、パーツを組み立てたり部品として売っている店もちらほら流行り始めていた。

自分の場合初めてのDOS/Vマシンは会社で買ったマハポーシャのDOS/Vである。

マハポーシャ

マハポーシャはあの ショショショショ~コ~アサハラショ~コ~ のオーム真理教がアキバで開いていたパソコンショップである。
今はアキバの路上というと、メイドさんたちが真昼間から闊歩して何やら怪しいものを配っている、考えようによっては夢のような街であるが、当時はずっと地味で家電品を求めるファミリー層に交じって七面倒くさいことをいう電気オタクのオッサンと、学生の街であった。当然、こういう婦女子から厭われる人々が出没するのは、ラジオ会館とかガード下とか、一本向こうの道路とかで、中央通り沿いは、概ねファミリー層と平和に分け合っていた。
そこに奇妙なかっこをした人間が何やら叫びながら怪しいDOS/Vのビラを配るようになった。
マハポーシャという自作機のようなDOS/Vを売る店で中央通り沿いの今のドンキホーテのちょっと先の細長いビルの上にあった。
akiba_Now同じくらい怪しい店は今のあきばお~2号店から千石電商の方への交差点を曲がったすぐあたりにもあって、香港やマカオの魔窟に入って行くような狭く薄暗い階段を勇気を出して上っていくと、怪しい日本語が飛び交う激安のパーツ屋があった。
さすがに殺されて肉の缶詰にされるたというような話しは都市伝説だと思うが、火事になったら絶対に助かりそうもない店だった。
昨日、千石電商と秋月電子に言ったので、その交差点の写真を撮ったが、正面の建物は見かけこそ少しきれいになっているが、階段は相変わらずはしごのような急な階段で中は、同人誌だかなんかのパソコンと関係のない店のようである。
自分が撮ると、なぜかおたくっぽい人ばかりが写っているが、このあたりから正面のおきばお~にかけていつもはメイドのお姉さんをかき分けて行かなければなら無い場所のはずである。

マハポーシャは、エレベーターで上がっていくので、この角を少し曲がったところから入る店と比べるとやや近代的な魔窟である。
マハポーシャは後にオームと深いかかわりを持つ店だと知ることになるのだが、それを知らなくてもビラ配りのにんちゃんたちの風体から、関わり合いになるのをためらわれる店であった。(ま、人の風体を見てためらうような風体ではこちらも無いかもしれないけれど)
それでもこの宣伝部隊は、しょっちゅう中央通りを練り歩いているので、ついついビラを貰ってしまい、見てみると、確かに安い。
巷ではDOS/Vのこともあれこれ、将来性がいわれていたし、アキバにしろ池袋にしろ、こういうちょっと見、いかがわしい店風のパソコンショップは少なからずあったので、宣伝部隊が町を練り歩いているすきにエレベーターで上がっていくと、配っている人間から想像するよりは、まともな売り場で別に叫んでいる人はいなかった。
店員の人は、ちゃんと言葉が通じ、結構親切でいろいろ教えてくれた。
試しに買っても怒られそうもない値段である。失敗したら部品取りに使えば良いしどうせ失敗したってわかる奴は会社には少ない。
というわけで、ハードディスクのセットを選んで買うことにして会社の許可を貰った。
注文してからでき上がるのに何日か必要だったかもしれない。
会社に持って帰って動かすと普通に動く。仕事で必要なソフトの多くが動いた。
当然、N88Basicを必要とする物や漢字ROMや98のハードを直接叩くソフトは動かなかったはずであるが、Tuobo C等は動いたのだろう。
もっとも自分以外で使いたいという人間はいなかったけど。

詳しいスペックは忘れてしまったが、高性能そうに見せているが、何かのスペックを低くしてより値ごろ感を出していたように思う。
しかし、メーカー製のPCでも良くやっていたことである。

使ってしばらくしてハードディスクがおかしくなったので修理方法を問い合わせたら南青山の場所で受け付けるという。

首都高の高樹町でおり、その次の南青山七丁目を左折してだらだらと坂を降りたところの角がその場所である。
数年後にオウムの幹部で「科学技術省大臣」の村井秀夫が地下鉄サリン事件の約一ヶ月後に現場にいた多くのマスコミが犯人を怪しいと認識しながら殺されるのをしっかり撮影していた場所でもある。
むろん、当時は交通の少ない路地裏で、パソコンの修理場所と思しき場所には怪しげな宗教の看板=オウムの総本部だが何かの看板が目立っていた。
その建物にパソコンか何かの文字をようやく発見して、やっとマハポーシャがショショショショ~コ~の変な宗教団体と関係があることに気がついた。
緊張して入っていくと、カウンターの向こうは道場のようになっていて、壁にはあの、ショショショショ~コ~さんのポスターが貼ってあった。
まだオウムの凶暴さが周知される前のことであったが、それでも、まともな団体と思う人なんて信者になる人くらいだったろう。
中でオウム服の人に症状を伝えて、ちらりと中道場を盗み見して帰った。

アキバの店でもここでも、勧誘じみた話しは一切なかった。オウムはラーメン屋でさえも勧誘をしていたらしいのに、なんたることか? まあそんなことだから悪いことを起こすのである

この修理では、ハードディスクを取換え、しかもちゃんと起動するようにデータを復旧して入れ替えてくれていた。
その後は、順調に作動して陳腐化するまで故障とは無縁だったと思う。
そういう意味では、ちゃんとPCのことが分かる人がいたのは間違いない。

さて、オウムとわかれば、さすがにこんなところから買うわけにはいかない。
別にスイッチを入れると、麻原彰晃の起動画面が出るとか、ショショショショ~コ~の唄が流れるとか言うことはなく、念のためハードディスにトラップが仕掛けられていないかも出来るチェックはしてみたが、問題はなかった。
しかし、オウムの悪い噂は流れていたので、周りから白い目で見られずにマハポーシャから買うことは出来ない。
akiba_Now結局自分のDOS/Vは、1994/10に発売された富士通のFMV-450のような気がする。
富士通のDeskPowerシリーズは機種が多く、もう少し前の気もするが、このかっことCD-ROMには見覚えがあるような気がする。
自宅のDOS/Vは、この後ミドルタワーのFMVにしてから後は、自作機の道に入った。
その方が自分で納得のいく機種に安く出来るからである。


もっとも、最近では、高スペックのものにしないと市販品の方が安い。
自作するならばある程度のレベルのものでないと具合が悪くなったときに、さっとその時の良いものに変えれば具合が悪くなったと思わずに改良したと思えるので平和である。


暇ができたらソフト編を書くかも
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