歌わない人はいない 書かない人はいない
文句だけでも書けない、恨みだけでも書けない、回想・思い出だけでも書けない。あるいはまた、「教養」や「知識」や体験だけでも書けない。本をたくさん読んだという自慢だけでも書けない。 でも、それらも「作品」のどこかで重要なスパイスとなって輝きを放つ場合も多々ある。 小説やエッセイを書きたい人は想像以上に存在する。書きたいこと、言いたいこと、訴えたいことを心に抱えている人もいっぱいいる。いつの間にか体に入り込んだ歌を口ずさむのと同じような感じで書き続けることもあるだろう。 大胆に言えば、歌わない人、書かない人はいない、と言い切ってもいいと考えられるのではないか。赤ちゃんや幼児がママに呟いたり甘えたりじゃれたりするように。 そこで、つまずくとすれば、足踏みするとすれば、「まとめる力」が足りなくて「全体の形」をきちんと掴んでいないからではないか。 これらは「意識嬢上の手続き・準備」とも言えよう。さらには、「何を伝えたいか」という土台。これがしっかり設定されなければ、ごちゃまぜの闇鍋のような「まずい者もの「得たいの知れないもの」「気味の悪いもの」が現れるだけ。 赤ちゃんだって、ただぐずついているだけではなく、ママに訴えたいことはしっかりと狙いを定めているはずだ。 そして行動に移す。「泣く」「わめく」「暴れる」「おしっこを引っかける」「ダダをこねる」「ひっかく」「にこっと笑う」「鼻歌を歌う」……。一人一人の「技術」だ、「テクニック」だ、「方程式」だ。 ひょっとして、赤ちゃんが生まれ持っている「演技力」で、多少の差はついてしまう、かも知れないが。 つまり、これが基本的な「武器」としての「文章」ということになる、オトナの場合を想定すれば。読者に言いたいこと・訴えたいことをまとめるための土台・基礎。 たびたび触れているが、「名文」である必要はない、「理解・了解」してもらえる形でいい。 文章にするといかにも厄介そうだが、人はみな豊かな感性を持って生まれている。みな生まれながらの「リズム・色気」に恵まれている。それにぐいと気付けばいい。難しく考えないで。 歌わない人はいません、書かない人はいません