先日の主人との会話…。

ポアロ『社内恋愛って憧れるよね~ヾ(*''∀`*)ノ』

主人『同業者とは結婚したくないなぁ…』

ポ『だってさ、毎日一緒に通勤できたりするんよラブラブ

主『んなわけないじゃん』

ポ『仕事中、今、何してるかなぁとか思っても 目の前に居たら嬉しくない!?

主『その、今、何してるかなぁって考えることが恋愛って楽しいんでしょ!?

ポ『…………主人さん、夢ないね…lllll(*´=_=`*;)llllll 』

主『人間はね、ある程度の距離を保っていたほうが上手くいくんよ。毎日毎日一緒におってごらん。うっとうしいって…(´-ω-`;)ゞ』

私の社内恋愛に対する憧れは
この会話によって崩れてしまいました…(* _ω_)...


どうでもいい話をスミマセン…汗


ところで音譜
先日のプール30分事件笑!!

リベンジしてきましたよ音譜波



今日は10時過ぎにプールへ到着。
1時間半ほどみっちり泳ぎました波晴れ波




これは休憩タイムの写真ですが
ふたりともどこを向いてるのやら…f(^^;

さすがに1時間半も遊ぶと
満足してくれたようで

帰りもすんなり着替えてくれました(= ̄▽ ̄=)V

日曜日だけど
比較的空いていて 遊びやすかったです。

母ちゃん頑張ったよ…。
暑かったぁ晴れヒマワリヒマワリ晴れ

帰宅後
ご飯を食べて3人で爆睡…ぐぅぐぅぐぅぐぅ

プールや海で泳ぐと
ものすごく眠くなりますねあせる

学生のころ、3.4時間目がプールの授業で
昼食後の5時間目が社会科とかだと
もう夢の中確実でしたね(*/ω\*)

起きて黒板を見ると
楽勝で100年くらいの時が過ぎていました。


子供たち
夜もぐっすり眠ってくれますように三日月ぐぅぐぅぐぅぐぅ









今日のお陰様クローバー

何気に夏を満喫出来ていることに感謝









ありがとうございます.。o○













Android携帯からの投稿
昨日の記事で
『平和学習と言う言葉を初めて知りました。』

とのメッセージをいくつかいただきました。

子供の頃
当たり前に受けていた『平和学習』

それは
他の教科と同じように
全国どこでもあっているものだと疑いませんでした。

でも違ったんですね…。


せっかくなので
私が受けてきた『平和学習』が
どんなものかを書きたいと思います。


平和学習で行うことは
道徳の時間などに、戦争に関するアニメや映画、資料を見たり

8月9日の登校日(長崎)には
原爆体験者からの話を聞いたり
平和を願う歌を歌い
黙祷を捧げていました。

戦争体験者の話は
本当に耳を塞ぎたくなるような話が多かったです。

印象に残っているのは
防空壕などで赤ん坊が泣いていると
銃を突きつけられ
黙らせるように言われること…。

それでも赤ん坊は泣き止みませんから
母親はおしめを赤ん坊の口に詰め込み窒息させたこと…。


当時 子供だった私ですが
その赤ん坊や母親の気持ちを考えると
胸が締め付けられてなりませんでした。


泣く子もいましたが
なぜか この話は聞いておかなければならないと、
一生懸命聞いていました…。

今、子供を産んでこの話がよりいっそう、胸を締め付けます。


他には、平和公園や原爆資料館へ行き
当時の写真や遺品、映像を見て
戦争の悲惨さを知ると言うことを学んでいました。

千羽鶴を折り
平和公園に捧げたこともあります。

平和資料館で見た
残されている資料の中には
本当に子供が見るには酷すぎるものもありますので

気分が悪くなったり
吐いてしまったり
泣き出したりする友達がいたことも事実です。

時に子供にそれらを見せることへの批判を、耳にすることもありますが

県外の子と話をしたり
嫁いだときに
気づいたことがありました。

県外の子 は原爆・戦争・平和などについての知識がなさ過ぎる。

そして、それらについて考えると言うことをしない…

いや、考えるきっかけすら与えられていなかったのだと。

その無関心さに悲しくなったこともあります。

先に述べたように
戦争の話を聞いたり
資料を見たりすることで、気分が悪くなったりするとこもありましたが、

今、大人になって さらには『母』になって想うことは

この知識を持っていて良かったと言うことです。


知らないからと鈍感になることは悲しいことだと思います。

原爆、戦争は恐ろしいもの
あってはいけないものだということを知る機会として平和学習はあってよかったと思っています。


私も自分の子供に
戦争の話をするとき、どう話そうか、いつ話そうか悩みます。

だけど
私に戦争の話をしてくれた祖母たちは
正直に伝えてくれました。


それは
今は怖いかもしれない。
気持ち悪いとしか思わないかもしれない。

だけどいつか、あなたが大きくなったとき

大切な人が出来たとき

子供が出来たとき

もう一度平和について考えることをしてほしい。
そのときは、今とは違う気持ちを持つようになると思うから…。


そう伝えられました。

多くの犠牲の上に成り立っているこの命を
守り、育てて、繋げていくことが
何よりの戦没者への供養になるのではないかと思っています。










今日のお陰様

生かされていることに感謝









ありがとうございます.。o○












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コレガ人間ナノデス

作.原 民喜

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル

オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来 ル声ハ

「助ケテ下サイ」

トカ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス







8月9日11:02分…
毎年、この時間は黙祷するのが
幼い頃から習慣になっています。

他県では黙祷のサイレンは鳴らないそうです。

登校日でもありません。
平和学習も少ないです。

どうやって後世に戦争の悲惨さを伝えて行くのでしょう。

この詩は決して大袈裟ではありません。
この光景を 私の祖母たちは
目の当たりにして生きてきました。

とても人間とは思えない姿になった人たち…

『タスケテ…』
『水ヲクダサイ…』といううめき声。

水を求め 川に次々と飛び込む人たち…

そして、そのまま死体となり
川は死体の橋ができるほど…。

何よりも その悪臭は
今でも忘れられない
言葉では伝えられないと

祖母たちは語ります。


毎年 8月の暑い日
青い青い空を見上げながら

『あの日も 今日みたいに暑かった…』

と話し出す祖母。

同じ話を何度聞いても
何度語っても

同じところで涙する。
歯を食いしばる。
うつむく。
声が震える…。


決して癒えることのない記憶と想いがそこにあるのを感じます。


どうか
毎年8月6日、8時15分には広島へ
8月9日、11時02分には長崎へ

今の平和に感謝しながら
今後も平和を守ることを約束しながら

黙祷を捧げませんか…?


戦争体験者の語り部は
平均年齢78歳を超えたそうです。


語り手がいなくなったら
忘れるのでしょうか!?

風化されてよいのでしょうか!?


どうか
どうか 原爆を忘れないように
祈りを捧げつづけていきましょう。

未来のために。









今日のお陰様

祖母たちが生きていてくれたことに感謝










ありがとうございます.。o○










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