平日、人通りもそれ程多くないショッピングモールの階段の通路脇に小ぢんまりとお店を構えている手相占いのオバチャン占い師。
行き交う人々もその視界に入っていないかのように誰も気にも留めていないようで皆素通りする。
オバチャン占い師も店構えはそれなりだが何をアピールするでもなく、むしろその気配を消しているかのように静かにじっとしている。
たまたまこの時だけかもしれないが、ヤル気がないのか、人気がないのか、当たらないのか・・・逆に気になる。
自分の母親によると赤ちゃんの頃に姓名判断をしてもらった事があるらしいが、それ以来占いとは無縁。
最近になってなんとなく占いに興味がある、と言うかチャンスがあれば占ってもらいたい気分になっている。
人気の占い師に並んだり予約したりするまでもないし、占いの結果に絶対的な信頼があるわけでもないし・・・
占いって微かに宗教的な匂いがする。
自分の人生を導いてくれるというほど重要ではないが、自分が気が付いていない人生の転機だったり、考えるべきこと、止めるべきこと、変えるべきこと、決めるべきことなど、自分の中の人生の時計を見失ったときに手助けのひとつになり得るものだと思う。
占いに頼らなくても自分で解決したり親や友人の助けで十分な人もいると思うが、占いってまったく初対面の第三者が意見を述べるわけだからそれが例え営業的ないい加減な内容だとしてもその中に意外なキーワードが含まれていることがあるかも知れない。
ある有名大学教授が「占いなんか信じず、自分を信じろ!」と言っているが、自分の中に信じるものが見つからないから占いや宗教や何か頼れるものを見つけようとするのではないか。
占いを100%信じたりするのは危険なことだと思うが、それにより自分の信念を築き上げていくことが悪いとは一概には言えない。
予てから占ってもらいたいと思っていた自分はそのオバチャン占い師に占ってもらうことを決断した。
オバチャン占い師はとても真剣に話をしてくれた。
調子いいことばかりも言わないし、中には当たってないなと思うことも言うし、何もいい加減なことは言わないし・・・
正直その内容はもう覚えていないが占ってもらってよかったとは思っている。
今の自分、今後の自分の為になったかどうかははっきりわからないが占ってもらったという事実は自分の歴史として残る。
旅行先で立ち寄った場所だから二度とそのオバチャン占い師に占ってもらうことはないと思う。
あの日、あの時、偶然に占ってもらったオバチャン占い師。
自分の中にはずっとその記憶は残っている。
『ありがとう!』
