おはようございます、こんにちは、こんばんは。
どうも、まぐまっぐです。
今回は完全に私がふと思ったこと、戯言。
進化論などというと賢い話に見えるけど、内容はマジで戯言。
はてさて、理系の人間にあるまじきこと言うけど、
進化論は本当に正しいのだろうか。
(あ、今回は生物学的な方の進化論ね。
遺伝的アルゴリズムとか最適化問題の話ではありません。)
進化論ってさ、極論を言ってしまうとに僕の祖先は海で生活してましたー
そこから進化して今のヒトになりましたーって言ってるわけだよね。
うん、私の頭ではとてもじゃないが想像できない。
私がどれだけ、天使みたいに翼を背中から生やして空を自由に飛びたいな。
と思っても一向に背中から翼が生える見込みもないわけだし、
身長もうちょっと欲しいよおおおおおなどと思っても、
成長期が終わったからかこれ以上身長伸びそうにないし。
ふと、思ったがなぜ人は翼が生えたとしたら背中だと思うのだろうか。
鳥や蝙蝠を見ると胴体から腕にわたって翼(あるいは翼の役割を果たすもの)が存在するのが普通である。
つまり、人間に翼が授けられたとしても、
薄い皮膚みたいなものが胴体から腕にかけて、びろーんと存在している感じか。
非常にキモイ。
うん、翼は背中から生えるに限る。
閑話休題。
はてさて、進化論の中で生き物は進化しすぎじゃない?
そんなに進化できないでしょ?ところまで話したね。
で、そうなると神様、ひいては創造主なるものがこの世界を作ったといたほうがスパッと理解できる気がする。
と、言いたいところだが創造主の存在自体があやふやすぎる。
誰も存在証明できてない。
悪魔の証明ならぬ創造主の証明である。
(悪魔の証明の用法が本来とちょっと違うことは無視しといて)
と、ここまで書いておいて創造主の証明でググったら結構な数の創造主は存在するというサイト出てきてドン引きしました。
創造主とか言い出したら、危ない宗教勧誘のヒトに見えるけどそんなことないからね。
僕は、正月に初詣行く程度の信仰心しか持ち合わせていない。
再び、閑話休題。
しかしながら、猿人のころからの進化は納得できる範疇にある。
衣食住の変化などによって体型、骨格、体質的なものが変化するのは、十分理解に足る。
でもやっぱり、海の生き物から人間になるのは理解しかねるね。
本日も、もやもやした結論で終了。
なんせ人間に翼が生える位置論争の部分が言いたいがために今回の記事書いただけだからね。
ではまたノシ