不登校から抜け出すには【何故不登校になったのか】

を明確に知ることが僕は大事だと思っています。


何故かと言うと、明確に知ることでより深く考え、そこに繋がっている原因を突き止める事が出来るからです。


例として、僕が不登校になった理由を書いて行こうと思います。


初めに僕は少し裕福な家庭で生まれました。好きなご飯を食べて、色んな所へ連れて行ってもらい、欲しいもの、やりたい事をさせてもらえる側から見れば何の不自由もない家に生まれました。


ですが、僕は不登校になりました。悩み始めてからは普通にできていた事が出来なくなっていきました。

外に出かける、マスクを外し皆と食事や会話をする、前向きに考える、生きていいと思う。など出来なくなることが徐々に増えていきました。


何故、僕は不登校になったのでしょう。ひとつずつ解明

していきましょう。


僕は幼い頃、何でもできる。そして何でも手に入るという

最高な環境でした。でもそれでも心にぽっかり穴のような物が空いてる感覚がずっとありました。

しかし、幼いからこそそこまで気にすることはありませんでした。


幼稚園から小学校に上り最初は絶好調でした。テストや宿題、学校生活だって何も不自由な事なく過ごせていました。でも何か足りない気はしていました。

そこから2年生、3年生と上がった時少し変化がありました。


それは、担任が気分屋で機嫌が悪い時はすぐ怒るし、機嫌がいい時は、褒めるという最悪な教師に当たりました。僕はその頃から学校に行くのが少し嫌になっていました。でも親は学校に行きなさいと言う。でも行かないと行けない理由までは説明してくれませんでした。僕はそこで、疑問を抱くようになりました。


そこからの学生生活は怒られるのが嫌で、その人の機嫌を取るようにしていました。僕はそれが上手くできていたので好かれていましたが、とても心は疲れていました。


話を変えるようで申し訳無いのですが、今だからこそその頃の気持ちに気づいているのであって、その頃は自分で無理をしているという感覚はありませんでした。


話を戻します。

小学3年生に題名をつけるとしたら【変化】でした。これは良い方向への変化ではなく、悪い方向への変化でした。

ひとまずその先生の年が終わり四年生、そして5年生に上がった頃です。

僕はまた壁にぶち当たりました。


それは、友人関係です。最初に話したことですが、僕は裕福で恵まれた家庭に生まれたと言いました。

それが原因で、友達と揉めることになりました。

簡単に言うと、僕は色んなゲーム、お菓子など子供達にとっては羨ましい物を沢山持っていました。

妬まれてしまったのです。妬まれ嫌がらせを受け、僕は人を物で釣って遊ぶという最悪な関係へと進んでしまいました。その頃から心はとっても寂しかったのです。

今考えればそんな奴らと関わらなければいい話なのに、その頃は寂しいと常に思っていたので、そういう方法を取るしかなかったのです。


ここで出てきた寂しいという感情はいつから出てきたと思いますか?

何故寂しいと思っていたのか今ならわかります。

それは、親からの愛情


前でも話しましたが、何かが足りない、心に穴が空いてるこれらの原因は親です。

これを聞いて?が頭に浮かんでる人もいるでしょう。

好きなものを買ってもらい、好きなものを食べ、好きな事をする。この状況なのになぜそうなるの?って感じる人もいると思います。

これらの原因は、ずばり親が【ありのままの自分を受け入れてくれない】という事です。


これは、不登校など関係なく全ての人に大切なものだと僕は考えています。

ありのままを受け入れるってなに?と思った方もいると思います。

ありのままの自分を受け入れるとは、失敗や欠点など自分にとって悲観的に見られることを否定せず受け入れてもらう事だと思っています。


失敗やうまくいかなかったことを頭ごなしに怒る人がいます。一度の失敗で全てを否定されてるような気持ちになる。これをしていたのが僕の父です。

父は、威圧的で怒鳴ってくる人でした。確かにダメなことを叱るというのはとても大事。でも、ここでよく失敗する人は、ダメだからと言う正義を盾にし、伝え方まで考えない人です。

これをしている人はよく考え直してください。子供だからを理由に伝え方を疎かにしていませんか?

僕はこの方法で育ったので徐々に自身も無くし心も寂しい状態になっていました。


そして、母親はというと、世間の常識に縛られて子供を【こうしないと】という決めつけで僕を育てていきました。

だから僕が学校に行きたくないと言うと、ヒステリックになり父親と喧嘩をし、ゲームや家の家具などを壊していました。僕は、この景色を見て自分を責め始めました。そして、喧嘩の後必ず父にはお前がしっかりしないからだと責められていました。

今でもこの言葉と光景を思い出してしまうほど傷ついています。


僕は誰にも相談できませんでした。理由は簡単。相談すると否定され責められる。これがほとんどだったからです。友人と呼べるような関係はなく、祖父母には、母親を困らせるなと言われ、姉には姉なりの悩みがありよく八つ当たりをされていました。両親は否定してくる。僕は徐々に逃げ場が無くなっていきました。

これと同時に中学受験もしていました。それにより心の余裕はとっくに無くなっていました。


この頃から毎日自分を責めまくり、毎日とても辛い日々を過ごしていました。


中学受験は無事合格したのですが、この頃の家庭環境は最悪で受験合格してすぐに、親がまた大喧嘩。姉はナイフを持ち手首を切ろうとし親は物を投げる。僕はこの時人生に絶望しました。そして同時に自分をまた責めました。


小学五年生頃から学校に行けなくなっていたので、よく言い訳として、中学になったら行くよと親に言っていました。これを言うと親が少し落ち着いてくれていたのでよく言っていました。


なので、僕は中学は絶対に行かないと駄目だと思いながら進学し、中学生活が始まりました。中学生活の前から自分の人格を否定していたので、僕は前の自分を押し殺し、新しい性格を作りながら学校生活を過ごしていました。最初はうまく行ってたんです。人に嫌われないよう、相手に合わせ自分の意見を抑えて生きていたので人間関係はうまく行ってました。ですが勿論の事、限界はすぐにきました。自分を否定しながら人に合わせて好きでもない所に行く。僕はまた挫折し、その事を親に言いました。


そしたら【またかと】と言われました。自分でも思ってはいました。僕は中学に上がったのにまた行けなくなるのかと。案の定完全にいけなくなり、中学3年の頃は一度も学校には行きませんでした。そして高校は通信に行きました。これらが僕が不登校になった原因です。


次回の投稿で、何故通信に行けたのか、そして、通信の頃どんなことを思いながら生きてきたのかを投稿しようと思います。最後まで見てくれてありがとうございました!