怪しいコンサルタントのブログ

怪しいコンサルタントのブログ

日常のコンサルタント活動の一端を伝えたくて、ブログを書いています。
タイトルの“怪しい”の意味は、私自身が納得していない、疑問に感じている事柄という意味です。私自身は決して怪しくありません。

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過去半年ほどの間、私の関心の大きな部分はカウンセラーという職業ないしは資格が占めてきた。カウンセラーとは何だろうか、カウンセラーになるにはどうすれば良いのだろうか、ということだ。僕はコンサルタントとして、経営者に接する日常を過ごしているが、実はもっとより深いところから、経営者や従業員に接するにはどうすれば良いのか、今は経営面という表面だけの接し方に過ぎないのだろうかと疑問に思っていたのだった。

 

そこで行き着いた先がカウンセラーになろうということだった。このように思いついたのは良いが、カウンセラーになるのはどうすれば良いのか分からない。カウンセラーの資格を持つ何人かの知人に訊いてみた。その結果行き着いたのが、『キャリアカウンセラー』という資格だ。キャリアカウンセラーとは、例えば、ハローワークで就業相談に乗るために必要な資格で、厚生労働省が認定を与えているものだ。

 

さて、目指す資格は決まったので、その資格取得を目指すために予備校に通った。10日間に及ぶ受講を経て、秋に1次試験に挑んだ結果は、合格! 次に実技試験である2次試験を目指した。これも、予備校的な機関に3回通学し、受験した。その結果が先日届き、見事合格した。各回の競争率は2倍程度なのだが、ストレート合格を果たした。

 

いよいよ憧れのカウンセラーになったという次第だ。この資格を生かして何をするのか全くの未定で、何か別のことを始めるかどうかも分からない。漠然と、人に寄り添うカウンセラーになれれば良いと思っている。

 

カウンセラーとコンサルタントの最も大きな違いは、人に対する接し方だ。コンサルタントは、人に助言、ないしは人を指導する。対して、カウンセラーは、人に寄り添うのみで、助言することは極力避ける。長年コンサルタントとして活動してきた僕は、何かと助言をしがちで、2次試験ではこの癖を排除するには苦労した。

 

まだまだカウンセラーとしては入り口に立ったに過ぎないので、もう少しカウンセラーとは何かを自問自答しながら、どのようにして経験を生かすのか考えてみようと思う。

 


福祉施設のコンサルティングが始まった。
昨日訪問したのだが、そこで働く職員には頭が下がる思いを強くした。
典型的な人的サービス業であるので、「人」を好きにならないと意欲を持って働けないのは当然のことだと思うが、どんなことがあっても笑顔で接し、挨拶や声掛けを行っているのだ。

本音を隠してかどうかは不明だが、このような施設で働いていると、つい自分のこととか、経営上の課題などは視野に入らないと思われる。
だからこそ、経営の視点で施設全体を見ておくことが必要になる。
福祉施設に関わるコンサルタントは、このような状況であることを認識して、施設関係者とは異なる視野で、一般企業では当然のことをアドバイスするだけで、感心してもらえることも多い。

昨日は、当たり前のことを話すだけで妙に感心してもらうことが多かったのだが、その理由の一端をあらためて理解したのだった。
先日のこと、あるクライアント先の社長との会話で次のような発言があった。
「我社は、あなたと付き合う前に営業関係のコンサルタントに依頼していた。その先生はとても怖い先生だった。社員を怒鳴りつけることもあったのです。言動だけでなく、顔つきもやくざのようだった」
そのコンサルタントに依頼した結果で効果があったのかどうかは聞きそびれたのだが、そんなコンサルティングスタイルもあるのかと、ある意味で驚きだった。


この発言に次のように答えた。
「そのような怖いコンサルタントのスタイルは、既に行うべきことが決まっている場合なら、効果があるかも知れない。でも、コンサルタントの役目は経営支援であり、その中身を実行するのは社員です。そのようなコンサルタントのもとでは、肝心の社員による自ら改革しようという意欲がそがれてしまいます」


私のコンサルティングスタイルは、社員と共に考え、その社員が考えつかない新たな視点を提供するものだ。実行の主体は社員であり、あくまで私は支援者、助言者だ。そうでなければ、実行段階で必ず行き詰る。実行者である社員の意欲が高まらず傍観者となり、言われたことだけを行う存在になりかねない。


このような私のコンサルティングスタイルであれば、それを物足りないと感じるクライアントがいるかも知れない。私には、先頭に立ってリードするコンサルティングスタイルは似合わない。たとえ私が怖いコンサルティングスタイルをとったとしても、それで改革が進むのは一時的なことだろう。だから私はそのようなスタイルをとらない。どうしてもそのようなスタイルを望まれるなら、「どうぞ他のコンサルタントに依頼してください」と言いたい。


ゲーム理論という学問体系があります。

僕はまずその名前に真っ先に引かれて興味を持った記憶があるのですが、良くは理解していませんでした。しかし先日、この理論を理解してもらう研修講師を行う必要が生じ、あらためて本を買ったりして(少しは)勉強したばかりです。

 

ゲーム理論が生まれたのは、有名な数学者であるフォン・ノイマンが、1940年代に「人の駆け引きを数学的に分析した」ことが最初と言われています。

それから多くの天才たちのおかげで、学問体系にまで発展を遂げました。

ゲーム理論を簡単に言えば、人文系の範疇であった人間関係の問題を理科系的に分析するものです。

 

あまり私たちの身近に感じられない学問であるために、このゲーム理論が何かに役立っているのかという疑問があります。

でも実は経済や政治の世界では、この理論を使って戦略的な駆け引きに利用しているらしいのです。

微妙な戦略的な取り組みに関わることなので、本当のところは良く分からない部分もあるのですが、例えば、欧米などの政府機関等では国際情勢を踏まえ自国にとっての最良の戦略選択の裏付けを、ゲーム理論を使って行っているらしいのです。

日本での実情は良く分かりません。

 

今回の講師を行うためとはいえ、ゲーム理論をざっとおさらいすると見えてくるものがあります。

たとえば、最近の中国の強気の国際展開です。

いろいろな背景はあるにしても、要は強気路線か、国際協調路線かの二者択一でしかありません。

強気路線と協調路線の各々のメリットとデメリットを秤にかけてということでしょうか。

中国の考えは、多少の国際的な批判を受けたとしても強気路線で押すべきという判断でしょう。

これはもちろん十分に他国の出方を予測した上での判断のはずです。

ゲーム理論に従えば、彼らも本気でことを構えるはずはありません。

そんなことをすれば、自国へのマイナスの影響は甚大になることを百も承知しています。

 

このような相手に対し、相手の挑発に乗って衝突などを仕掛けると、仕掛けた側にとっては戦争を仕掛けたという悪名に繋がり、最悪の事態を招きます。

かといって、全く動ぜず静観するという態度は表明すべきではありません。

ではどのような態度を取るべきでしょうか。

正しい態度とは、「反撃するぞ」という態度を内外に表明することです。

その意味で、国内で政治的な論争になっている『集団的自衛権』は、絶妙なタイミングで政治課題になっているようです。

ゲーム理論を応用すれば、集団的自衛権の是非の議論の結果で、その行使を容認するという選択肢もあり得るように思えます。

ただし、為政者には決してこれを使用しないという信念が必要でしょう。

今の為政者にこの信念があるのかどうか判断できません。

私たちが判断できるなら、他国に見透かされることに通じるので国益を損なう事態に通じます。

今の政権が武力行使をしたがっているようにも思えるのはうがった見方でしょうか。

 

上はゲーム理論で考える事象の一例です。

国際問題はこんなに単純ではないことは皆さんご存知の通りですが、少なくともゲーム理論で考えることで、相手と自分を一旦対等の立場に置いてみて、相手の出方を見ながらどの選択肢を取るのが最適かを判断できます。

それがたとえ机上の検討であっても有益な手法です。

 


ある煎餅屋さんを訪問して経営アドバイスした。

その煎餅屋さんのせんべいはとにかく凄い。

直径30センチの煎餅、ハート形の煎餅、激辛煎餅など工夫ある煎餅を揃えている。

 

その中でも、『何だこれは!』と思ったのは、『十度漬け』せんべいだ。

醤油に漬けて乾燥のサイクルを10回繰り返す。

だから『十度漬け』という。

2週間かけて作るそうだ。

 

辛くて固いので歯が丈夫な人のみが楽しめるのだが、

珍しいので、当地の名物になっている。ただし、200円以上と少し高めの値段です。

どのようにして、このような煎餅を次々と作り出せるのか、興味を持った。

 

新商品開発の発想法として、有名なオズボーンのチェックリストを使ったのか知れない。

店主の前職は車のセールスマンだそうだ。

だから、せんべい屋の固定観念にとらわれず、とにかく工夫をしたのだろうと思う。

 

僕が行った経営アドバイスはともかくとして、

ただ印象に残ったことは、オドロキの煎餅の品揃えだった。

 

 

香山リカの最新刊に、『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』がある。

この題名に思わず膝を打った。

要するに、『よくぞ、言いたいことを言ってくれた』ということだ。

 

内容を読んでみると、SNSの気持ち悪さのみを主張しているわけでないが、

感動の押し売り、

“いいね”の強要、

自分の内面のあけすけな開示

など、本当にこれが正常なコミュニケーションツールかと疑問に思っていることが、

きちんと論理的に主張されている。

 

FacebookTwitterなどは役に立つとの声も多いが、

僕はこれらのソーシャルメディアが何となく本当の世界とは思えないし、

これらを多用する人と付き合いたいとも思わない。

 

人と人のつき合いは、もっと本音の世界が広がっていると思うからだ。

興味を持った人は一読してください。

 

しかし、

このブログがFacebookにリンクして公開されていることを知っています。

僕が書いていることと、行動することに一貫性がないことは保証できそうだ。

 



『怪しいコンサルタント』というブログを再開します。

“再開する”という限りは、ブログを中断していた期間があったということです。

ある事情があって1年近くこのブログを中断していたのです。

 

事情といっても、大げさなことがあったわけではありません。

ある方との関わりで、ブログで自分の意見を発信することを躊躇したのです。

今となれば、気にするほどのことはなかったのですが、とにかく中断していました。

 

ブログの再開を待っていた人がいるとは思えませんが、

このブログを書くことで、自分の思考のバランスをとっていたことも事実なのです。

そういう次第で再開します。




平均して2週間に1回以上は本屋に立ち寄るだろうか。

大抵は数冊の本を購入するが、先日は手ぶらで店を後にした。

買いたいと思う本を見つけられなかったからだ。

最近は購入したいと思う本を見つけられない傾向が強くなっている。

 

たまたま立ち寄る本屋の品揃えが僕に合わないのか、

出版される本の内容の質が落ちたのか、

僕が読みたいと思う本をほとんど既に読み切ったのかなどの理由が考えられるが、

本を購入しないで本屋を後にするのは、何とも残念な思いを残す。

 

僕の本屋での行動は、まずビジネス書コーナーを眺めて、

最新の新刊書をざっと見て興味を引かれるタイトルがないかをチェックする。

既刊書でも今の僕の仕事に役立つ本がないかを調べる。

次いでノンフィクション、さらに小説、特に警察ミステリーの新刊がないかを調べる。

 

そんな調べ方だから購入したいと思う本が見つけられないのかも知れないと、

最近は雑誌などの書評欄を切り取り、購入候補の本にチェックすることも試みたが、

本の購入の仕方に、効率化手法を持ち込むことは何ともそぐわない。

 

本の購入の方法は、

ぶらっと本屋を訪れて、時間がかけて一冊一冊調べるのが王道だと思う。

 



昨日はある企業をコンサルティング訪問した。

まだ2か月ほどのつき合いでしかも訪問回数は限られているので、

その企業とは事業内容を十分に知り尽くしているとは言えない。

しかも、訪問するたびに新たな課題が浮かび上がる。

昨日は次のような課題が議論になった。

 

第一の議論は、Webサイトを運営に関わる。サイトへの訪問者は少ないながらも一定数はある。

でも、売れていない。推定される理由は、検索キーワードの設定が不適だということだ。

キーワードがビッグワードであるため、購入を意図して訪問する人の割合が少ないのだろう。

 

第二の議論は、単価の低さだ。この企業は個人宅向けのサービスを行っている。

単価が低いと、手間がかかる割に粗利が低いということになる。

出張費を明瞭にして、単価を上げることが必要だと思われるが、

そうすると、地元の個人宅との信頼関係に影響を及ぼすことになりかねない。

信頼関係を維持しながら単価を上げる方法を探ることになる。

 

第三の議論は、サービス後のアフターフォローをいかに始めるかということだ。

この会社では、個人宅へのサービス終了後に今までは特にアフターフォローを行っていない。

地元密着を掲げるなら、このようなアフターフォローは不可欠だろう。

多忙な従業員の意欲を喚起し、アフターフォローを確実に実施させるにはどうすれば良いのか。

 

この他にも大小さまざまな課題が次々と浮き上がる。

これらの課題を一つひとつ解決することが求められる。

でも課題が明確になるだけで、その企業が抱える大きな問題解決に近づいているとも言える。



ある企業で2日間の経営層向け研修を行った。

僕はこの研修で脇役に徹した。講義時間は2割程度で、残りは演習時間だ。

このような演習主体の研修の場合、当然のことだが待ち時間が多くなる。

 

この待ち時間が結構長くつらい。連続で1時間以上の待ち時間になることはざらだ。

あくびをするわけにはいけないし、居眠りすることはもちろん厳禁だ。

 

個人演習の際に、講師に最もふさわしい行為は、

困っている受講者に話しかけ解決の糸口を与える話をすることだ。

またグループ討議に際には、その討議内容の耳を傾け、新たな視点を提供することだ。

 

でもそれらの行為ばかりすると、受講者の邪魔になるかも知れないと考える。

必要なのは受講者に考えてもらうことなので、この時間には余裕を持たせたい。

従って、講師は時間を持て余すことになる。

 

これは研修の最中での話であり、

事前の準備、すなわち研修の構成を考え、テキストを作成し、リハーサルするなどの時間は忙しい。

 

昨日も別の研修の2日間分の研修内容を考え、テキスト作成を終えた。

この研修で受講者が得ることが多いと実感できれば、僕の研修準備は完了するのだ。