平成元年に生れた高橋漣と園田葵は13歳の時、北海道・美瑛の花火大会の夜に出会い、お互い惹かれあう。だが、幾度も出会いと別れを繰り返し、二人の「赤い糸」は結ばれることはなく、18年の歳月が流れる。

漣は桐野香と結婚し結という子供ができるが、香はガンのため亡くなってしまう。

葵は大学卒業後、シンガポールに渡り、女実業家として成功するかにみえたが、親友の裏切りにより、すべてを失ってしまう。

そして、年号が平成から令和に代わる前日の夜、イベントで賑わう函館港のフェリー乗り場に二人の姿があった。

この「糸」という映画に物足りなさを感じた理由は、ストーリー全体が雑に扱われていることだ。だが、これは仕方のないことかもしれない。

映画には時間の規制があり130分という時間の中に、漣の歩んだ18年と葵が歩んだ18年をそれぞれに描こうとすると、やはり無理が生じてくるだろう。むしろ連続ドラマという手法で、時間をかけて丁寧にストーリーを進めてこそ漣と葵の「糸」の物語が、より鮮やかに生かせるはずだ。

 

漣には葵という想い人があったはずだが、なぜ桐野香との結婚を決意したのか。

葵の18年の歴史の中で、漣という存在は一体何だったのか。

これらが描かれていないから、物足りなさを感じるのは私だけではないはず。