「百恵になれなかった明菜」

 懐かしい名前を聞いた。
 いま、東京ドームで開催されている「キルト展」(正式な名称はわからない)を中継していたテレビ番組の中で、「三浦百恵」という名前が耳に飛び込んできた。言わずと知れた百恵の現姓で、彼女の作品がこの「キルト展」に展示してあり番組でも紹介していた。

 山口百恵が俳優・三浦友和との結婚を機に、スッパリと芸能界を引退、「百恵神話」なるものが生まれた。
 80年代、ポスト・百恵は、数多くデビューしたアイドルたちの中で、松田聖子と中森明菜の二人に絞られた。私はどちらかといえば、明菜のファンだった。
 デビュー曲の「スローモーション」のようなスローなしっとりした恋愛の歌、そして「少女A」に見られるアップテンポでツッパリ路線。これを交互に発表する、という戦略は百恵とよく似ている。
 この戦略は見事に成功し、明菜は百恵が成し得なかったレコード大賞(当時としては最も権威があった音楽賞)を受賞、しかも、2年連続(1985、86年)受賞という偉業も成し遂げている。
 
 賞争いだけを見ると、はるかに明菜の方が輝かしい実績を残している。
 だが、歌の世界だけではなく、どの世界おいても言えることだろうが、トップの座を維持し続けることは至難の業である。
 明菜は「歌姫」としてその頂点を極めたが、その座から転落するのも予想以上に早かったように思う。

                                  つづく