百恵のデビューは歌手としてではなく、女優としてデビューが先であった。
 歌手としてレコードデビューしたのは1973年5月21日発売の「としごろ」(CBSソニー)であったが、それ以前の2月、TBS系列のテレビドラマ「刑事くん」、さらに4月公開の映画「としごろ」(松竹)に出演している。そして満を期して5月21日に「としごろ」で歌手デビューを果たしたのだが、どうも印象が薄かった。
 ごくありふれた、どこにでもいそうな少女が、何かの手違いでステージに立たされるはめになった。デビュー当初の百恵には、そんな雰囲気が漂っていた。

 百恵がデビューした頃は、恋人にしたい天地真理、嫁さんにしたい小柳ルミ子、そして妹にしたい南沙織の3人がアイドル歌手として活躍していた。彼女らは「三人娘」として、様々な形でメディテアに取り上げられていた。
 それに対抗したわけではないだろうが、百恵を含めた森昌子、桜田淳子の3人で「花の中三トリオ」が結成されたが、先の「三人娘」と違っていたのは、中三トリオはテレビの公開オーディション番組(スター誕生)から作り出されたということである。
 この「花の中三トリオ」の中で、デビュー当初の百恵は最も目立たない存在だった。
 森昌子には抜群の歌唱力があったし、少女らしい可愛らしさを売り物にする桜田淳子がおり、百恵にはこれといった特徴がなかった。
 それぞれのデビュー曲を数字的に見ても、森昌子のデビュー曲「せんせい」は60万枚。桜田淳子の「天使も夢見る」は15万枚をそれぞれ売り上げているのに対し、百恵の「としごろ」は8万枚と、明らかに遅れをとっていた。
 百恵の歌手としてのデビューは失敗だった。常識的に考えれば、デビュー曲が失敗であたとしても、2作目も同じような路線を続けるであろうが、百恵のスタッフは大英断を下した。
 「青い果実」「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」と続く、千家和也詞・都倉俊一曲コンビの「性典路線」により、百恵人気は急上昇した。