平岡正明著の「山口百恵は菩薩である」を読み終える。
 この本を読んでの感想は後日、まとめることにするが、この本の中で強く印象に残った一節がある。
 『多くのしあわせをのぞんで、祖父が百恵という名をつけた時、彼女の運命は方向づけられた。多すぎるしあわせをのぞんで、千恵と名づけられたら、平凡な一生を送ったかもしれない』

 多くの恵みを求めるのであれば、「千恵」と名付けるのが一般的。しかし、あえて「百恵」と名付けられたのはなぜだろうか。
 「百恵」と名付けた祖父の思いは、決して多くの幸せを望んではいけない、という思いが込められていたのではなかろうか。