土曜日の夜。
私のマンション前―――
外灯に照らされた通りに、深いエメラルドのような光沢をまとったSUVがゆっくりと停まった。
朔ちゃんのジェットメタリックグリーンのポルシェ・カイエン。
夕暮れの空の下・色を変えるそれは、都会の喧騒の中でひときわ存在感を放っている。
「…朔ちゃん。」
私が手を振ると、運転席の窓が静かに下がり、落ち着いた表情の彼が現れた。
「花凛。乗って。」
その何気ない笑顔に、言葉以上の思いやりを感じて私は小さく頷いた。
助手席に乗り込むと、上質なレザーシートと仄かに香るシダーウッドの車内の匂いに包まれている。
街灯の光を受けて、フロントガラス越しの夜の街が淡く揺れた。
「久しぶりだね?」
「……だね」
「元気だった?」
「…うん…」
そう言って私は、窓の外に視線を流した。
動き出した車のエンジン音が、胸のざわめきと重なる。
「元気そうじゃないな」
運転席から横目で私を見て、彼は小さく笑った。
「元気だよー。今は少し仕事も落ち着いてて、よく眠れてるし」
「そっか」
「朔ちゃん、今日何食べたい?」
「誘ったのは俺だから、花凛の好きな物でいいよ?」
「そうだなぁ…じゃあバンブーのパスタ!」
「オモサンの?」
「うん」
「よし。じゃあそうしよっか」
快くそう返事をしてくれた朔ちゃんの車は、明治通りを北へ進んで行く。
街の空気は次第に洗練されたものへと変わっていき、おしゃれなカフェやブティックが目につき始めた。
交差点に近づくにつれて、表参道の独特な雰囲気が漂い始める。
それから車をヒルズに止めて、私達はそこから歩くことにした。
都会の喧騒を忘れさせる、竹林に囲まれた一軒家レストラン「バンブー」。
そこで味わうパスタが、私は大好きだ。
朔ちゃんと私は、「特製ラグーソースのタリアテッレ」と「季節のパスタ」を注文する。
運ばれてきたのは、丁寧に手打ちされた自家製パスタ。
季節の食材とソースが、まるで絵画のように美しく盛り付けられている。
フォークで絡めて口に運ぶと、もちもちとしたパスタの食感と素材本来の香りがふわりと広がった。
シンプルでありながら一口食べるごとに深い味わいが押し寄せ、シェフのこだわりが伝わってくる。
「おいしー!」
「うん。ここのパスタ久しぶりに食べたけど、やっぱりおいしいな」
いつものように、二人でお互いの味をシェアしあった。
朔ちゃんのラグーソースは、お肉の旨味が凝縮された深い味わいが口に広がっていく。
「花凛…」
「ん?」
「留学の準備って、進んでるの?」
「あ…うん。この間IELTSも受けたんだ」
「そっか。忙しいね」
「そうでもないよ」
他愛ない話をしながら、時間がゆっくり流れて行った。
あの日以来、凱斗には会っていない。
留学する決意を受け入れてももらえず、数日後に出された凱斗の公式声明文には「私との付き合いに終止符を打った」と書かれていた。
それからも朔ちゃんは変わらず「親友」として、隣にいてくれる。
寂しい夜には、不思議なタイミングで電話もかかってきたりした。
そんな朔ちゃんに、私はいつも凱斗の事を尋ねてしまう。
いまだに吹っ切れていないのは、私の方だった。
「朔ちゃん…」
「うん?」
「凱斗…元気にしてる?」
「……」
「あ、このお店もたまに来たから、ちょっと思い出しちゃって」
少し焦って言い訳をしたら、朔ちゃんは相変わらずの優しさで柔らかく微笑む。
「元気だよ?来週会うんだ」
「来週?」
「うん。会社も落ち着いたし。二人で久しぶりに、肉食べに行こうって」
「へぇ…」
「花凛も来る?」
「えっ?!まさか…そんなの無理…」
「どうして?しれっと来ちゃえば?凱斗喜ぶよ?」
「喜ぶわけない。あんな怒ってたのに…」
そうつぶやいて目を逸らしたら、朔ちゃんは小さく息を吐いた。
ここ半年で初めて朔ちゃんに聞かれた自分の気持ち…
「花凛は…この先凱斗とどうするつもりなの…」
「……」
「お互い意地張って、半年も連絡しないとか…」
「だって…あんなこと言っておいて都合よく私から連絡なんてできない…」
「花凛…」
「それに向こうからも無いもん。…きっと凱斗だって仕方ないって思ってるよ…」
「そんな事ない…」
「もう別れちゃったんだし。忘れなきゃね」
「……」
「あの時じゃなくても、時間の問題だったかも」
「そんな事ないよ…」
「朔ちゃんなら覚えてるよね…亨の事…」
「…うん…」
「私…大丈夫だと思ってたの。凱斗は性格も全然違うし、サラッとしてるから」
「……」
「でもね…相手の問題じゃなかった。自分の問題だったの」
「自分の?」
「信頼してた人が急に掌帰すって…結構なトラウマで…」
「……」
「私…あれから素直になれないんだ…」
「花凛…」
「実はね…凱斗のあんなSNS…私ホント見るのやだった。凱斗にはね?全然見てないって言ってたの。」
「……」
「ホントは、気にして見ちゃってね。だけど、こんな事言ったら嫌がられないかとか、こんなこと聞いたら嫌われないかって…いつも怖くて、結局凱斗に何にも聞けないの…それで一人悶々とする…みたいな」
「…正直に言えば良かったのに…」
「言えないよぉ…」
「黒瀬のせい?」
「それもあるかもだけど…今思えば、自分に自信がないのも原因だったのかなって…」
「……」
「昔の自分は、違ったなって…。
少なくとも学生時代は、それなりに夢も自信もあったし、未来は自分で掴めるって疑ってなかった…
だけど、最近の自分は全然ダメで…それが凱斗みたいな人には、ふさわしくないなぁって…」
「……」
「だから留学して、自分を変えたいなって思ったんだ。もっと自信のある自分になれるかなって…」
「花凛…それちゃんと凱斗に話したら?」
「ちょっとだけ話したと思う。だけど凱斗、怒っちゃって全然聞いてくれなかった…」
「あれから、凱斗の会社の事なんか聞いた?」
「お兄ちゃんから、“和解した”って言うのは聞いたけど…」
「凱斗も、あの頃はホント大変だったんだ…。それは花凛にもわかるよね?」
「……」
「もしもだよ?もし凱斗が留学の事、認めて待ってくれるって言ったら、花凛どうする?」
「そんな“もしも”は、ないって…」
「いいから…“待つ”ってもし言ったら…花凛の気持ちは?」
「…そんな風に…言って欲しかったけど…」
「…今でも?」
「私も、そんな簡単に気持ちは切り替えられないかな…でも、早く忘れられるように頑張る」
そう言ってごまかすように笑ったら、朔ちゃんは「簡単に切り替える必要ない」って。
そうだよね…
無理に忘れる事なんて、出来るはずない。
いつの間にか、私の一部みたいな存在となっていた凱斗。
彼との思い出は、消そうとすればするほど鮮やかによみがえってくる。
楽しかった時間も喧嘩した後の寂しさも全部消しちゃうなんて、今の私にはできそうになかった。
彼の存在を無理に消そうとするよりも、今のこの苦しさを少しずつでも受け入れていくしかない…。
「でも、これだけは言っておく」
「なに?」
「これからは、自分の気持ちに嘘はつかないって…約束して花凛…」
そう、真剣に言う朔ちゃんに思わず頷く。
それは、これから先の生き方の事だとそう思っていた。
「できるかなぁ~」
冗談ぽく誤魔化すように笑ったら、朔ちゃんが同じように笑う。
その笑顔はいつものように優しくて、私の強がりをそっと包み込んでくれた。
その後私たちはカフェに移動し、他愛もない話で少しだけ盛り上がる。
それは本当に久しぶりの、気持ちがほぐれた夜だった…。
続く
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