地元で開催されたヒーリングマーケット行って来ました


どうしても鑑定して欲しい先生がおりまして、予約して行って来ました。


自分がこれまで見てきた世界が、実際どーなのか!?

という疑問を解きたくて、小さな頃から妖怪や色んなものが見えてて、ドン引きされたという鑑定士さんアホノヤタノさんに会いに行ってきました。



わっちゃーでごっちゃーな感じで、いっぱい引き連れて行ってしまったと思うんです。


うん。ヤタノさんの蕁麻疹が半端なくて、本当に申し訳なくなるほど。

鑑定してもらっているうちに、どんどん出てくる蕁麻疹。



そんな中で言っていただけたのが、やっぱり霊媒体質であること。

そして前世の陰陽師の時は、自分で祓う術を知っていたから問題なかったということ。

で、現在。

ちゃんと確立できていないので、意識を持っていかれたり、命の危機的に遭遇していた事実。


ちゃんと対処方を知った方がいい!と教えてもらいました。

そして騙そうとしている神様以外の存在もいる可能性。

都度見極め、従うか選択は自分にあること。


確かに…。



核心的な部分で、最近神様や宇宙について降りてきたり、仕組がわかってしまって、それを伝えなきゃになっている自分と、あまりに知りすぎて情報を整理でない自分で揺れていました。


私がやらなくても何も変わらないし、伝えなければ私以外の人が役目を果たすというのが世の中の仕組み。


つまり、変わらないんだ。


でもあえて、その中に身を置きたい自分がいること。

そしてその選択は自分にあるという気づきに、肩の力が抜けました。


宇宙の仕組み命の仕組みまで理解してしまっては、大役すぎます。


しかし、知りたかった部分なんです。

そこに救われてきたからこそ、知りたかったのかもしれません。

私に宇宙の法則を解き、混乱していた時を救ってくれたのは、紛れもなく田辺であったからこそ、今の私が成長できたのは間違いありません。


しかし、能力の前借りと己がためばかりでは、不幸な結末しか生まないという教訓もまた、教えてもらいました。



そして何より亡くなった娘が居る感覚が、ずっとあること。

神様のお手伝いをしているから、お母さんにお話できるようになったんだよと、聞いていたのですが…。

実際娘や守る方が居るのが右側。

悪いものはすこし離れて左側に居ると言われて、あーやっぱり。


直感を信じていいんだということ。

何か頼まれたりしつこく言うなら、むしろ交渉すればいいんです!

の言葉には目からウロコでした。


天照様や月詠様。確かに普段はアドバイスだったり、その中で成長するように教えられたり、降りてきた言葉をどう理解し体験させ自分の言葉になるようにスパルタなだけで、決して無理難題の無理強いではなかった!という気づき。


感覚で理解していたので、否定する気持ちが大きく阻んでいたんだということ。

そして伝えたい。本にしたい。小説にしたいと思っているのは、自分自身だったという気づく貴重な体験でした。


必ず正解じゃなくてもいい。感じたから伝えるでいいんだという言葉は、

悩みを解放する程の初体験でした。


帰り、実家の墓参りをしてきました。

江戸時代から始まり令和で父の名が刻まれた実家の墓。

よく、ここまで来たな。

そんな言葉をかけられました。


一度は自分の血筋所以の、能力も含めて還したいと願いました。

もう二度と墓参りには来ない覚悟もありました。


しかし、それは無理なんですよね。

脈々と受け継がれてきてしまって、今があるから。


多くの因縁も含めて、私はここにいます。

直系男子であり、養子に出され本家の繁栄の中、真逆な生活を強いられ本家を恨んで孤独死したおじさんも本来なら弔うべき存在に変わりありません。


https://ameblo.jp/nisiki-mikoto/entry-12722831568.html



2020年のお祓い最中に起きた火災。

犠牲者も出ている以上、偶然なんてありえない。

必然であったとしても、それを誰も知らない。

しかし、弔う為に三十三観音を参拝中に当人より、なぜ俺の供養をする?と聞かれたという出来事。


思うことで、意識は繋がるという事実。


悲しい歴史はかわらない。

それでも心を寄せること。先に進む手助けや道標ができるのなら、私ができる事としてやるだけなのです。


滞る場を元あるべき姿に戻すことが、前世から私の仕事です。

その仕事を、私の使命ととるのか、やらされている事として考えるのか。

自分の中の正義を守るため、その役目をこなすのか。


世の中がおかげさまですと、笑い合える。

そんな明るい未来を引き寄せるためにも、滞った場を浄化しています。


浄化できる場所を、そのまま放置していると自分の身に危険が迫るというサイクルに居るので、誰のためでもない、自分の身を守るため巫(かんなぎ)としての使命を全うしています。


意外と答えは初めから決まっているんだと思います。

答えもヒントもあったとしても、気づかない者は気づかない。

その中でいかに知り、動けるのか。

動ける人間だけ集めて、少しだけの役割を与える。

至ってシンプルなのかもしれません。


神様の知恵や能力を貸すことは、投資だろ?

言われます。

投資する価値もなければ、誰も守らない

自分だけの世界は終わる。

だからこそ自分の大切なものを、大切にしながら感謝を言い合える感性のままありたいと思います。