今回も音楽はなしです。

短いですが、ちょっとムカついた事を。

またまたネットでの話しなのですが、自分の考え、また希望、そしてデマをあまり深く考える事なく書きちらかしている方々が目立ちますね~。まあ僕も人の事を言えた義理ではありませんが(;^_^A。。。
ただ、その発言や書き込みがどのような影響を与えるかは考慮すべき事かと思います。

僕のブログのように、一日の訪問数が100件に満たないようなものでも、どのようにして広がっていくか解ったものではありません。いわんや有名人や、ツイッターでフォロワー数が5桁もあろうかという方が発言することは、発言主の考えがどうであろうと、受け手の印象によって解釈が大きく違ったりするものです。その辺りの自覚なくして発言し続ける事の危険性をどれだけ認識しているか。もしかしたら、ブログの閲覧数やツイッターのフォロワー数がイコール自分の賛同者と思っているのか?もしそうならば思い上がりもはなはだしい!!!

しかし、有る程度持ち上げられると、その気になって好き勝手なことを書き散らかしている人、多数見ます。そしてその人の賛同者(信者と言っても過言じゃ無いレベル)が好意的解釈をして批判する人を叩く。結果発言者はますます自信を深め増長する。ここに進歩の余地はありません!!ある訳がない!!

間違いの発端は「こちらの意見は納得しろ、批判は非難だから聞く価値が無い!」という(自己の絶対正義)といった感覚ではないのでしょうか。この感覚で書いたり発言をすると「自分は正しい事を言っている。だから表現が多少まずくても、また誰かを卑下しても、その奥にある真意を理解出来ない人間は間違っている。そんな人間はクズだ!!」なんていう思いが出てくると考えられます。

そうじゃないでしょう!何かを訴えるとは、賛同を広く得るためにどうするかを考える事と同義ではないでしょうか?自分と違う考えや迷っている人を切って捨てるような発言は、最終的には自らを孤立させ、賛同者と共にセクト化していくものです。

でも、そういった考えもない発言が目立つのは事実です。そしてそういった方々は批判に対して積極的に耳を傾ける事はしない。そんな傾向が見て取れます。そして言ってはいけない発言をしてしまう。しかしその発言も自らの正義の為なのだから問題ない、そういったスタンスですね。それは正しいのか?僕は大いに疑問だし、またムカつきます。殆どの人は言葉の表面的意味しか捉えないものです。そんな人まで切って捨てる態度は(思い上がり!!)です!!

まあこんなところ。こんな事を書いた理由は昨日のツイッターでの(山本太郎)氏の発言が原因です。ネット上でも少し話題になっていますので、興味が有る方は調べてみてください。おそらく賛否はあると思いますが、僕的にはどのような真意があるとしても許される発言ではないと思います。


あ~~、またこんな事を書いてしまいましたね~。まあ、僕はこんな事を考える人間です。自分が正しいなんて思い上がってもいません。しかし正義を大上段に振りかざし、自らの正義に賛同する意見以外は排除する姿勢に、本当の正義があるとも思えないのです。特に社会性の高い問題に関しては、そんなに単純なものではないと思うのですが。