こんばんは!西尾で読書会。の宮子京(みやこ けい)です!
今日の西尾市は、強い雨がほぼ一日降り続いております。
全国の皆様は、本日をいかがお過ごしでしたでしょうか?
さて、この記事では、”今日はアインシュタイン記念日”についてのお話を書きます。
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アインシュタインは、大変有名かつ高名な「20世紀最大の物理学者」とも言える人物です。
(個人的にはアインシュタインが「あっかんべー」をした写真がユニークで好きです!)
アインシュタインによる、
「ブラウン運動の理論」
「光量子仮説」
「特殊相対性理論」
「一般相対性理論」
といった研究成果は、数物理学への多大な貢献となりました。
以上のような彼の研究結果による功績が世の中に認められ、1921年にノーベル物理学賞を受賞しています。
そんなアインシュタインは、「常識」というものを次のように定義しています。
「常識とは、十八歳までに身に付けた偏見のコレクションのことをいう。」(ジェリー・メイヤー&ジョン・P・ホームズ『アインシュタイン 150の言葉』26頁より引用)
「常識」という知識には、円滑な社会生活を送る上ではわきまえておく必要が多い部分があることは確かです。
しかし、「新しいことに挑戦しよう!」という気持ちを持った時には、私たちの行動に必要以上に心の中にしがらみを生みだすもとでもあります。
時として、自分の行動の端々に世の中に言うところの「常識」が刷り込まれている感覚が私にはあります。
そう考えたときには、私はアインシュタインの先ほどの言葉を思い浮かべます。
様々なルール違反、そして法律違反は社会的に断じて許されませんが、
世の中に言う「常識」は一度は疑ってみたほうがいいと私は思っています。
私にとっての常識が周りの方々にとっての非常識だったりもする可能性があります。
逆に、世の中での常識に私が違和感を覚えることもあります。
今の時代の流れにそぐわなくなっている常識に自分を無理やりに当てはめようとすることで、
「自分の年齢から考えると、この挑戦はいいのだろうか?」
「自分の立場から考えると、新しいことに挑戦するのは難しいかな…?」
こういったことばかり考えていると、生きているのが苦しくなったり、楽しくなくなったりすることもあるからです。
実際に、私は、
「三十代はこういうふうにあるべきでしょ?」
という三十代のあり方の世の中の常識にとらわれる気持ちは全く有りません。
「発達障害があるから、ちょっと能力的に無理じゃない?」
という意見をすんなり鵜呑みにするようなことも有りません。
もちろん、私は、自分をよく知ってくださっている方々の客観的な意見を大切にしていますが、
客観的な意見をもとに自分を知るという目的を持ったうえで大切にしています。
どのような形であれ世の中に言う「常識」を疑うことで得られるメリットは、
「この人生の与えられた時間を、自分がどのように生き抜きたいのか?」
ということが最終的に今際の際で重要になることを見越した思考方法です。
いかにして、周囲の方々の意見を参考にしながら自分の心の中の「常識」を少しずつ破壊していくか?
周りの方々と意思疎通と連携を取りながら、自分らしく生きていくかということが大切だと思っています。
最後になりましたが、「常識」という枠組みを持ち出し始めると、自分の新しい可能性を探す努力やチャンスをを捨ててしまうことになります。
自分が死期を迎えたときに、
「いっぱいいろんなことを試して、これでよかった!」
と思えることが一番大切だと思っています。
私も読者の皆様もお互いに「常識」という耳障りの良い紋切り型の言葉の誘惑に惑わされるばかりでなく、
適度に自分らしい色合いをもった生き方が出来たらいいなと願っています。
「今の私は、世の中かの常識からはみ出しているような気がする…」
ということを考えてしまった時は、
「常識とは、十八歳までに身に付けた偏見のコレクションのことをいう。」(ジェリー・メイヤー&ジョン・P・ホームズ『アインシュタイン 150の言葉』26頁より引用)
必ずしも世の中にいう「常識」が、あなたの悩みにとっての最適解だとは限りません。
周りの方々の意見と自分らしい意見のバランスを考えながら、楽しく生きていけますように。
そんな願いを込めて今回の記事では、アインシュタインの言葉をご紹介させていただきました。
それでは、また次回!