こんばんは!宮子京です(みやこ けい)です!
時は遡って何年か前の話になりますが、インターネットニュースに次のような趣旨の記事が掲載されていました。
「”どうして、勉強しなければいけないの?”と、子どもたちに聞かれたときに、どう答えたら良いのか?」
というお悩み解決の記事で、一読しただけで納得させられるような”理詰めなのにかみ砕いてある”説明に感動した記憶が有ります。おそらく、私も、幼いころに両親をはじめとする周囲の大人に対して確実に一度は口にしているはずなので、これまでの自分を振り返る意味でも「正面から向き合いたい!」と思った大切な問いでした。
とはいえども、
「もう少し、シンプルな説明はあるのかな?」
と、一歩控えた視点で受け取りました。
「一言でいうと、…」
の発想がちょっと好きな私にとっては、どこかスッキリと腑に落ちない感じの心のむずむず感があった記憶が有ります。
確かに、何でもかんでも、
「一言でいうと、…」
の発想に当てはめるのは難しいと思います。この発想は好きですが、私たちが日常的に経験する全ての事象を一言でまとめるのは非常に難しいことだと思います。
「では、キミが見本を見せてくれたまえ。」
と言われて10個の場面を示された場合を仮定すると、私の”脳”力では6~7コのケースで上手く答えられれば上出来だと思います(笑)
そういう経緯があって、言葉にならないもやもや感とむずむず感を抱えながら、長い間しっくりくる意見を探していました。
意識のアンテナを立てて探していると不思議と見つかるもので、在りました!
私が快哉を叫びたいと思った意見の中で、
学ぶ意味とは…
「皆で一緒に幸せになるために必要だからです。」
というものでした。わりやすい言葉で埋め尽くされたような整った説明を受けるよりも、直球でズドンと心に響く言葉でした。
私が、いつ、どこで目にしたのか引用元は定かではありません(※引用元が分かり次第、追ってご紹介いたします!)。
しかし、
「もしも、1000年先の未来に言葉を贈ることができるのであれば、どんな言葉を贈りたいか?」
という別の角度からアプローチした際には、
「皆で一緒に幸せになるために必要だからです。」
という意見が最適解だと私は思います。皆様は、どのようにお考えでしょうか?
共通の理解があれば乗り越えられること。
共通の理解があれば、一緒に楽しめること。
共通の理解が有っても、乗り越えられないこと。
きっと、あると思います。現時点で、地球上には約76億人の人達がいると推定されています。全ての方々と直接お会いすることが困難な以上は、私たちが自分以外の約76億人分の最適解の意見をうかがい知るチャンスは少ないです。「人の数だけ異見がある」という言葉もあるので、この点に関しては少し残念な気がします。
それでも、つねに、
「もしも、1000年先の未来に言葉を贈ることができるのであれば、どんな言葉を贈りたいか?」
という意識をもって、これからの日々の中で、いろいろな方々や本から学びながら生きていきたいと思います。
私自身も含めて、様々な考え方や言葉を次の世代に繋いでいくことが、出来ますように。
切に祈ります。
それでは、また次回!