8/22の戸津説法の続きです。


こちら東南寺は明智光秀によって築かれた坂本城の二ノ丸跡にあたるそうです。


天正十年(1582)落城の際に戦死した兵らを弔うために建立されたと伝わる供養塔(首塚)もあるそうです。


この日は境内所狭しとテントや椅子が並べられており、聴聞者も山ほどいらしたり、三十三間堂さんの仏教文化講座でバスをチャーターしてくださったので時間的な事もあり、小心者の私は好き勝手にはウロウロしずらく(苦笑)

確認は出来ませんでした。


ご本尊さま✨に手を合わせて失礼しました。


遥か昔、戸津の浜で御説法を耳にしたのか、

拝聴したいと願っていたのか…

どんなご縁でここまで来られたのか…


ありがたいことです照れ



穴太寺から寄贈のテントもありましたウインク


外壁の前には葉上照澄阿闍梨の記念碑。

奥様との大恋愛は菊池寛の小説『心の日月』のモデルとなりました。


葉上照澄阿闍梨についても

夢一乗さんが分かりやすくまとめてくださっています。






東南寺を後にし駐車場へ歩いていると

地主の方が立てられた明智塚の説明書がありました。

〝この地は明智光秀の坂本城の城内であると推定されている。塚の由来に就ては坂本城落城の際に光秀の脇差名刀の郷義弘並び宝器物を埋めた跡であり明智一族の墓所であると傳えられている。明智族の悲運もあって鎮魂のため 毎年六月十五日祭記〟



・JR西日本、湖西線の比叡山坂本駅。

叡山駅から比叡山坂本駅に改称されて今年の9月4月で30年です。


戸津説法。

伝教大師最澄さまの初心からいつしか乖離して、

居並ぶ高僧にいかに自身が法華経を研究理解しているかを示す場となり、分かりにくい事の例えに使われるようになった一面もある言葉だったので、緊張しながらうかがいました。

ですが、

その日にお話になる部分のコピーや、通しで聴聞する機会のない人がほとんどの為、5日間の内容を冊子にし、色紙と共にくださいました。



もちろん分からない言葉や理解できないこと、疑問もありましたが、系統立てた学びや修行もしていない一般人ですから仕方がありません。

にもかかわらず、分かりやすい表現が多かったです。

「仏門に入る前は〝仏教の教えを生活の指針にしている人はいないのではないか〟と思っていた」旨のご発言には、

率直な心境を語られていて印象に残りました照れ


戸津説法。


仏さまの光を鈍らせずに散りばめられた時空間でしたウインク



・記念の色紙




最澄さまの字の臨書(真似て同じように書くこと)


「(直筆でなくて)印刷で申し訳ないですが…」と仰ったところにも気遣いのお人柄を感じました照れ




・どうでもいい余談

駐車場でバスを待つ間、隣りにいたお姉様マダム二人がみうらじゅん展の話しをずっとされていました…。40人近く人がいる中、なぜにこの二人が横に⁇(笑)

心で頷いて、笑いを堪えておりました。