先日ご紹介した

仏教大学宗教文化ミュージアム


〝拝まれてきた仏像ーふたたび拝まれる日をまつ〟




最終日、行ってまいりました。



京阪三条駅から京都市営バス59番・山越広沢行きに乗り、




河原町通りを北上し、今出川通りで左折、


御所と同志社大学の間を抜けて

千本通りを北へ。


わら天神




仁和寺






龍安寺、立命館大学を過ぎて


広沢の池が見えて来ました。


もう少し進むと

広沢池・佛大広沢校前、到着



道を挟んだ向かいには

児(ちご)神社。なんとなくお参りするながれではなかったので

コトログ京都から転載します。

祭神は広沢の地に遍照寺を建立した名僧、寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)の侍児。


平安時代中期の998年(長徳4年)6月12日、寛朝大僧正が亡くなると仕えていた侍児は、悲嘆・悲泣して寛朝大僧正の後を追って、遍照寺山腹下に広がる広沢の池に身を沈めたと伝えられます。その後、近在の人々がこの児を哀れと思って、その霊を慰めるためにこの社を創建、以来児神社と称されるようになったということです。今では訪れる人も少なくひっそりとした神社です。



さぁ、ミュージアムの方へ


紅葉🍁が目に鮮やかです


展示はワンフロアでした。


右奥の仏教大学のジャンパー来ている人…人形です


撮影は禁止なのでパンフレットから。


入ると

この閻魔さまがお出迎えくださいました。

1メートルの大きさ。

(パンフレットより)


兵庫県の一雲寺にあった閻魔さま像でした。

次の安置先をお待ちです。


なんとも言えない気持ちになる分解された如来像

仏像を作る方には勉強になるのでしょうか。



浄土宗の中にお大師さま像。

移座されたのか、改宗を経たのか…。


西国三十三所の札所本尊の写しの一部もありました。


寺院の消滅はこれからますます避けられない問題です。


解散寺院から移管された仏像…


最後はお炊き上げの道を辿るしかないのかもしれません。


一方で


罹災された他の寺院に譲渡された事例が二つ紹介されていました。


数少ないパターンで解決の決め手にはならないとは言え、そこにかすかな希望の光を見ました。


最後はアンケートに答えて


仏教大学のキャラクター

〝ぶったん〟の


付箋をいただきました^^