先日のお灸体験の日、予約時間まで少しだけ時間があったので、
いつもは通り過ぎていた
こちらのお寺にお参りさせていただきました。

誠心院
真言宗泉涌寺派
華獄山東北寺

和泉式部ゆかりのお寺です。


万寿4年(1027年)、上東門院彰子(藤原彰子)が父・藤原道長に勧め、法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立させ、「東北院誠心院」としました。
(現在の京都御所の東、荒神口辺り)
 寺伝に依りますと、
初代の住職は平安の歌人和泉式部で、
その法名を誠心院専意法尼と申します。

娘の小式部に先立たれた和泉式部は、
書写山円教寺の性空上人の元を訪ねて
女人往生の術を乞い、性空上人の教えをもとに誓願寺の本堂にお籠り、ご本尊に教えを受けます。

そして、女人の身でも六字の名号をお唱えすれば身の穢れが消えて往生できる事を知り、

六字名号を日々お唱えして、

阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられ浄土へ往生したといわれています。
その後、鎌倉期には小川通一条上ル誓願寺の南に移転し、この頃に泉涌寺の末に成ったようです。


天正年間には豊臣秀吉の命を受けた山口甚介が、

寺町六角下ルの現在地に移転しました。


幕末、禁門の変による元治元年(1864年)の大火から立ち直る間もなく、明治4年に京都府知事の政策で新京極通が誕生し、通りを隔てて境内地は二分される事になります。 
山門・堂宇を失い、まさに寺門は荒廃を極めましたが、雲龍院からお越しの泉周応宗師をはじめ、箸蔵栄龍先師が再建にあたりました





入り口にある
〝鈴成り輪〟
お願いしながら回すそうですが、
写真を撮っていて回し忘れましたてへぺろ







役行者さま

明治43年(1910年)にも近隣で火災が発生し、蔵を残してすべてが焼失しますが、蘇我部俊雄・向井俊恭の二人の先住様方の弛まぬ精進と、檀信徒の惜しみない助力のお蔭で、大正8年(1919年)に現在の本堂が建立されました。

平成9年末、山門の建設が成った時には檀信徒一同その喜びは一入でした。 
そして近年、天正年間に建立された「阿弥陀如来と二十五菩薩石像」を再建し、「百親音巡拝」成満を記念して「式部千願観音(和泉式部の面影を偲ぶ、千人の願いを込めた、万人に利益を施す聖観音菩薩と言う思いです。)」と「百八観音」「神変大菩薩」の石像を建立する事が出来ました。




二十五菩薩像

この宝篋印塔が
和泉式部の墓所
二十五菩薩の前に位置します。

京都のビル群を背にする菩薩さま




繁華街の中のお寺
誠心院でしたニコニコ

今夜も見に来てくださって
ありがとうございます。

今日も幸せでしたね。

明日のあなたも
たくさんのハッピー♪
ありますように✨


・お知らせ・

いつもおこし頂きありがとうございます😊
今年お参りしたお寺を年内にアップし終える目処が立ちましたので、
明日から
更新の回数を少し減らしますニコニコ
よろしくお願いします。