ハードな家庭の状況に文字通り泣き寝入りすることが多かった小学生の頃のある日、良い気分で翌る日を迎える為に、明日は今日より良い日であるようにと希望を込めて眠る前にお祈りをしようと思い立ちます。

最初に考えて使っていた文言は
「神さま仏さま、今日もいい日でした。ありがとうございます。明日も世界中の人にとって良い日でありますように」
でした。

ところが色々な本を読んでいるうちに
〝守護霊〟という見えない存在があるらしいと知ります。
だったら今の自分がいるのは確実に存在し命をつないでくれた〝ご先祖様〟のおかげもあるなぁと気がつきます。

そして程なくお祈りの文言は
「神さま仏さま守護霊さまご先祖様、今日も一日いい日でした。ありがとうございます。明日も一日世界中の人にとって良い日でありますように。」
と変わります。

これに落ち着いたかと思いきや、小学校で世界の飢餓や紛争について学びます。折しも国際児童年とかで様々な状況の子どもの存在を知ります。

そこで私は
〝世界中の人〟全てにとって良い日なんてあり得ないと確信してしまい又文言を変えました。

「神さま仏さま守護霊さまご先祖様、今日も一日いい日でした。ありがとうございます。明日も一日、出来るだけたくさんの人にとって良い日でありますように。」

そう、世界中全ての人ではなく出来るだけたくさんの人にとってと変えたのです。


中学生になり、金縛りに遭うことが増え、その解消に十念(南無阿弥陀を10回唱えること)が効いたので、上記のお祈りの後に十念を長いあいだプラスしていました。

これを毎日、どんなに辛く悲しい事があった日も続けました。泣きながら唱えた日々も少なくありませんでした。

すると何だか心が安定して、見守られている感覚に包まれるようになったのです。

それは私の目には見えないのですが、ずっとずっと頭の右上辺りに感じるのです。

昔の人の、悪い事をするとお天道様が見ているよ的なもの。
マイお天道様。

おかげで出来る限り人生公明正大に生きてこれた気がします。


けれど若気の至りで暴走したりは当然あります(笑)

ただどんなことをしてもその責任や負の体験も自分に帰する覚悟は持っていた気がします。