そうなのだ。
彼女にとって神さまは昔から身近で面白い存在だった。

お台所には火伏せの神様・愛宕神社の『火迺要愼』のお札
門口には鬼の姿になった元三大師の疫病避けのお札
玄関には災厄から守ってもらえると言われている祇園祭の長刀鉾の粽
お便所にもお風呂にも神様がいはると言われ、おばあちゃんの部屋にはお仏壇があり、お商売をしていたから二階には大黒様もいはって…井戸からは写真でしか見た事のないおじいちゃんが時々現れ、見えるもの見えないものにも護られている感覚も自然に感じていた。

そやから自然と色んな神さまの出てくる『古事記』が好きになって、そしたら、もう神さま面白すぎて、嫌な思いをしたり、理不尽な目にあった時はそのメチャクチャぶりに慰められていた。

一方的に友情を感じたり、怒りの対象を転嫁して諌めたり、ただただ楽しんだり。

〝崇める〟はやっぱりなかった。