野球で例えた時に、毎打席、打てる球(コース)を狙っていても仕方がない。
そのコースでホームランが打てることが分かったら、初球でそのコースに球が飛んできたらキチンと見逃して、「あと、自分はどのコースが打てるのか?」を探る。
そこには、とんでもないボール球を三塁打にできる自分がいるかもしれないし、
「振り逃げ」の名手になれる自分がいるかもしれない。
取りたいデータはそこで、嬉々として甘い球に手を出していたら、それは一生取ることができないデータだ。
スタッフやオンラインサロンのメンバーに、新しい企画を提案する時に、僕が面白いと思う企画ほど、反対の声が大きくなる。
皆、優しいので、「それだったら、もっと、こうした方が…」という代案を出してくれるんだけれど、いつも決まって、
「そんなものが当たることなんて分かりきっていることじゃないか。そして、その当たりも、せいぜい3塁打だろ? そんなことをやって、何の意味があるんだよ。時間の無駄じゃないか」
と、突っぱねる。
最近だと、『レターポット』の開発会議がそうだった。
「換金派(兌換紙幣派)」と「非換金派(不換紙幣派)」でオンラインサロン内の意見は綺麗に真っ二つに分かれて、いや、むしろ「換金できなかったら意味がないじゃないか!」という声の方が大きかった。
なんてったって、僕自身が、当初は“換金できる方向”で話を進めていたので。
ただ、シミュレーションをすればするほど『レター』は換金できない方が可能性に満ちていて、なにより、換金できてしまうレターが描く未来は、明確に見えていて、それがまさに3塁打ぐらいの当たりなので、「そんなものは、他の誰かに任せよう。僕らがやることじゃない」とスタッフやオンラインサロンのメンバーを説得した。
この辺のやりとりは、こちらのインタビューに載っている↓
最近、考えを聞かれる機会が多いのだけれど、「20~30分で!」と時間を制限されることが、ほとんどで、ここまで時間を割いて話を聞いてくださったインタビューは最近だと珍しい。
相手に説明(プレゼン)する時は、相手との共通概念を経由しなければならず、そもそもベースとなる概念を持たない相手には、概念から説明することになるので、そのアイデアが面白ければ面白いほど、説明には時間がかかる。
ジャンケンの概念を持たない人に、「叩いてかぶってジャンケンポン」のルールを説明するようなものだ。
「なんで、わざわざハンマーで叩かれるようなことをしなきゃいけないの? 宗教ですか? 炎上商法ですか?」という声が必ず出てくる。
レターを換金しなくてもいい理由を説明するには、基本情報として「紙幣の歴史」を入れておかなければならないのだが、このインタビューでは、そこからお話できたので良かった。
ていうか、レターポットだけで本が一冊書ける。
お金の成り立ちから始まり、そして「現代のお金」を知る為の本を。
僕が本気で「面白い」と思うものは、いつも反対の声が上がる。
その原因の一つが「説明時間不足」であることには間違いない。
今から6年前に『えんとつ町のプペル』を舞台で上演したんだけれど、企画を提案した時は、やはり感触が悪かった。
ラストシーンで(NON STYLE石田君と僕が乗る)船を空に飛ばして、劇場中を星空にして、ステージや観客席を雲の中に沈める演出があったんだけれど、「ファンタジーすぎる!」やら「現実的じゃない!」やら。
だからやるんだよ。
「絵本『えんとつ町のプペル』を分業制で作る」と発表した時も、やはり反対の声があがった。
こちらは、むしろファンの方からの反対が大きかった。「作家性が薄まる」といった。
「僕の頭の中にある景色が、より高密度で表現されるから、むしろ作家性は濃くなるじゃないか」とか何とか言って、ファンの方の声を鬼無視して、絵本『えんとつ町のプペル』を作り上げた。
昨日、僕のオンラインサロンで次々々回作のラフ(叩き台本)を発表したのだけれど、すこぶる反応が悪かった。
皆が求めているのが「えんとつ町のプペルのようなモノ」であることは、よく分かったが、「ようなモノ」を作っても仕方がない。
『挑戦』というよりも、むしろ『実験』『研究』に近い。
「これと、これを混ぜたらどうなるのかな?」
「僕の仮説ではこうだけど、実際はどうなのかな?」
といった実験の繰り返し繰り返し。
あとは、食いっぱぐれないように、3回に1回は甘い球を狙って、確実にホームランを打つ。
打率は3割でいい。
今日はこれから地元(川西)に帰ります。
夜は川西能勢口で小学校からの同級生らと宴会。
明日から、川西の多田神社で『えんとつ町のプペル 光る絵本展』(入場無料)が始まりまーす。
僕も久しぶりに多田神社に行きまーす。