株価が15年ぶりの高値だそうな
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日経平均株価が15年ぶりの高値をつけた
消費は横ばいだから、企業業績が上がっているわけではない。
理由は円安だという
一段と円安が進み、それによって輸出企業の収益が改善することを見越してのことらしい。
ここで二つの別のニュースに注目したい
M&Aと日銀政策決定だ
一つは、外国企業に対するM&A、企業買収が4年連続で増加しており、昨年度は過去最大の件数になりそうだという。
円安は買収には逆風にもかかわらずだ。
もう一つのニュースは、昨日の日銀政策決定で金融緩和策の継続が決まったということ。この判断が「さらに市場に金が流れる」という投資家の判断につながり、円安になった。
「消費税増税以来、消費は停滞したまま」ということと考え合わすと、日銀の異次元の金融緩和によって市場に溢れた金は設備投資にまわらず、海外への投資と株式投資にまわっているということになる。
これは一種のバブルだ
本来なら市場に流れた金が消費につながり、それが設備投資を呼び、という実需の流れが期待されるのだが、どうも行き場を失ったお金が一種のバブルを呼んでいるように思える。
臨時財政対策債???
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吹田でも議会での論議が大きく分かれる一つに臨時財政対策債というものがあります。
地方交付税に似て非なるもの。
日本全国、一定水準の福祉や教育の質を確保するために、地方交付税というものを国が地方に配分するシステムがあります。
似て非なるものとは、臨時財政対策債。
しかし、この配分原資がなくなってきたので、2001年から「地方交付税の不足分は、地方で借金してください。あとでなんとかしますから」ということになりました。この借金が臨時財政対策債です。
当初は数年でもとの全額交付税措置する考えだったので、臨時と名が付いています。
地方交付税の算出の仕方。
自治体の規模や特性によって国が「自治体を運営するのに必要な額」や「標準的に入ってくると考えられる収入」を算定します。前者を基準財政需要額といい、後者を基準財政収入額といいます。
基準財政需要額(必要とされる経費)-基準財政収入額(普通に入ってくるはずのお金)=普通地方交付税
つまり普通に行政運営をしていても、不足する経費を普通地方交付税として国が面倒みてくれrわけです。
なお、この交付税は日日の経常経費に使われる費用に充てられるもので、何かの資産になるというものではありません。
で、国も財政(地方交付税特別会計)が赤字なので全額交付できないので、一部を自治体で借金してくれ、と言っているのです。
そしてその借金は地方交付税と同じ意味のものだから、次年度以降に地方交付税として算定します、と国はいう訳です。
さてここで意見がわかれます。「国が保証する交付税だから借金してもいい」の?
臨時債発行賛成者は、地方交付税として後年度に保証してくれるから、市民サービスの充実のために借金しても差し支えない、という考え方。
吹田市では共産党さんがこの主張の代表だと思います。
一方には、交付税と同じといっても、地方の責任でする借金だし、とくに吹田市のように収支が比較的均衡している市では、後年度に地方交付税が措置されず、借金だけが残る可能性がある、と反対する立場の人がいます。
私はこの立場です。
そのほかにも、この臨時債には問題があります。
増え続ける借金。1年目より2年目、2年目より3年目と借金が増え続ける。
先に説明したように、自治体の借金ではあっても交付税の一種の建て替えみたいなものですが、これが次年度に交付税という形でキャッシュでくれればいいのですが、国は基準財政需要額に算定する、という訳です。
具体的に数字で説明しますが、細かい点は捨象します。「違ってる」と怒らないないでください。
これまで交付税をもらっていない自治体だとします。
今年の財政規模は、基準財政需要額(必要経費)が1000億円、基準財政収入額(普通に入ってくるお金)が900億円とします。
不足額が100億円なので本来はこれが交付税として配分されますが、いま、交付税が70億円配分され、臨時債という借金を30億円(据え置き期間なしの20年賦と仮定)したとします。
翌年度は、この借金30億円の20年元利均等償還費の1年分、仮に2億円が基準財政需要額に加算されます。
これが国が言う、臨時財政対策債は後年度に地方交付税措置するという意味です。
つまり
基準財政需要額 1002億円
収入額 900億円
交付税 102億円(実際に配分されるのが71億円、臨時債発行分が31億円と仮にします)
さらに翌々年度は、この臨時債の償還費2.1億円が乗りますから、前年度の償還費2億円を加えて、
基準財政需要額 1004.1億円
収入額 900億円
交付税 104.1億円(交付税73億円、臨時債が31.1億円くらいかな)
このように、基準財政需要額は雪だるま式に増えていきます。逆に言うと、毎年なんの根拠もなく借金できる限度額が増えて行くわけです。
もともと交付税を必要とするということは、財政事情が悪いということですから、借金の限度額が大きくなればそれだけ借金を重ねて行く可能性が高いです。
またもう一つの問題は、償還費ということです。
今あげた具体例でも分かりますように、次年度以降に算定された交付税額には償還費が含まれているのですが、実際にこの借金をしている自治体で毎年償還している自治体は少ないようです。
2008年の臨時財政対策債残高は20兆円ちょっとでしたが、5年後の2012年には40兆円を超えました。これは償還が着実に進められていないことを示します。
以前、日経新聞が都道府県の臨時財政対策債を特集し、償還ができていないため破たんの可能性のある都道府県が20数県に上ると報道しました。
大阪府の巨額の償還不足もこのときに言及されています。
最後の問題は、この臨時債という借金をいくら重ねても表面的には財政の悪化が分からないということです。
経常収支比率が借金で改善する?
自治体の財政が健全かどうかの指標として、経常収支比率がよくもちいられます。
分母に収入、分子に支出をとり、百分率(%)で表されます。
この臨時財政対策債はもともと交付税の性格をもちますから、国は収入にカウントしてもいいとしています。税収と同じ扱いです。
つまり、この危うい借金はすべて収入とみなされるので、借金すればするほど、収入が増えた、経常収支は改善したという奇妙な数字となって表れるのです。
以上、議会でもよく議論になる臨時財政対策債というものについて簡単に説明しましたが、煎じつめれば、国が地方に配分する金がなくなったから、地方が借金して肩代わりするという制度です。
こんな制度がいつまでも続くはずがないというのが、私の結論です。
経済は成長しなければならないのか
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経済は成長しなければならないのだろうか。
TVでコメンテーターが政府の成長戦略について、人間の幸せにとって経済成長は絶対なのか、成熟社会でもなお成長しなければならないのか、と言っていた。
人の幸せは経済では図れない、それはその通りだと思う。
心のどこかでは「そうかもしれない」と思っている。何年か前、ブータンの王族が来日したときも、「総幸福量」という言葉で「経済が全てではない」という論調があった。
しかし、地方政治に関わるミニ政治家としては、一つの矛盾に突き当たる。
国家のあり方の古い考え方に、「夜警国家」と「福祉国家」というのがある。
「夜警国家」というのは国民と国家の安全のみを政府の役割とし、あとは市民の自由にゆだねるという考え方。「福祉国家」というのは政府の役割を市民生活の保証とし、福祉や教育などに比重をおく考え方だ。
さて、少なくともほとんどの国家は福祉国家である。
もちろん日本もそうだ。
そして市民の生活を考えたとき、その収入というのは大きな部分を占める。
縮小あるいは均衡再生産、つまりゼロ成長やマイナス成長では、貧富の差は広がる。
さきの「経済が全てではない」という考えは、縮小あるいは均衡再生産の社会になり、収入が減っても幸せのそうりょうが変わらないならいいではないか、ということなのだが、それでも所得の格差が拡大したり、貧富の差が拡大したりしたら、別だろう。
縮小あるいは均衡再生産ということは、国内生産が増えないということを意味する。賃金や税金を原資とする年金は国内生産が減れば同じように減少する。
一方で、資産を保有している者は、その資産の上がりから収入を得るから、国内生産が落ちても資産を国外に投資すれば、その目減りを防ぐことは可能だ。
土地でも多少の損失を覚悟すれば、外国債や金に資産構成を変えれば運用益を期待することができる。
つまり、経済が縮小あるいは均衡再生産に陥るということは、資産保有者とそうでない者の所得格差をさらに拡大させるということだ。
それはやはり福祉国家に働く政治家としては認めてはならないことだろう。
TVを見ていて奇妙なジレンマに陥ってしまった。